2017年11月27日 50年前の現金出納帳
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当時の仕送りは月3万円であり、アルバイトをしない決意の身では100円でもないがしろにはできなかった。で、ある一日の出費は以下のごとくである。 なんとも慎ましい生活ぶりである。現金出納帳を眺めてみると、文化活動の出費としては本代、映画チケット代、ごく稀にディスコ代・ダンパ代などがある。共産主義関係の本を購入しているのは時勢からだろう。大学紛争の時代が懐かしくもまた苦々しく思い出される支出だ。 |
2017年11月20日 秋の贈り物
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ところが葉っぱは翌日には新鮮な色を失い、乾いて縮れ始めたのには驚いた。葉っぱは紅葉しても木に引っ付いている限りは、幹から僅かではあっても水分を供給してもらっていたに違いないのである。ということは、紅葉することは即生命の終わりではなく、幹を離れて初めて生を終えると言えるのであろう。 「ゆずりは」という木がある。自らの葉を落として次の生命に道を譲ることから、「ゆずりは」というらしい。生命の循環を見る想いであり、輪廻転生を一枚の楓の葉っぱから教えられるのである。だからこそ、はかなくて美しいと感じるのかも知れない。 |
2017年11月16日 くまもとの未来に残すもの
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それにしても、2050年の未来予測ならば、著名な未来学者アルビン・トフラーに意見を聞きたいところだが、彼はもういない。せめて、熊本の残すべきものは何か自分なりに考えてみた。それにしても33年後の熊本では高齢者が増え、働き手として外国からの移民やロボットが増えているだろう。空き家や空き地は増え、自動運転やカーシェアは当たり前、ドローンが空を行き交っていることだろう。再生エネルギーが主流になっているに違いない。 そうした未来に残したいものは何かとなると答えは意外と難しい。歴史遺産、伝統産業・芸能、文化・芸術、自然、景観、人情、産業蓄積、革新技術、名産品、気質・県民性、都市空間、地域間ネットワーク、農林水産資源、人的資源などがすぐに頭に浮かんでくる。案外、「わさもん」気質という新しいものを受容する県民性が評価されているかも知れない。33年の間に世界が激変することを考えれば、どれ一つとっても残すには相当の努力を要すると思われる。さて何から手を付ければ良いのだろうか。 |