芭蕉林通信(ブログ)

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2017年11月07日 ものの形

 いつ頃からか形あるものは必ず崩れると思ってきた。新車を買ってぶつけたりしても、それほどがっかりはしない。新車はいずれ中古車になり、最後は廃車になると思っているからである。その中で希有な車だけが、クラシックカーとしていつまでも皆から愛される。絶世の美女が死ぬまで若々しく奇麗であり続ける訳はない。美男子も同様である。要は、美しく老けること、円熟味を出して歳をとれば良いのである。

 古美術は、そのモノを通して歴史を遡ることのできる世界である。真贋はまことに難しいが、そのこと自体が多くのことを学ばせてくれる。誰がいつこの作品を作り、誰がどこで所持し、今までどのように使用されてきたのかと想像すれば限りがない。モノに執着するということ、モノを次世代への渡すまでの預かり物とすることなどいろいろと考えさせられる。

 そういう点では、興味を抱くモノの値段が高いか安いかはあまり関係ない。道ばたで拾った石ころやレンガ片にもロマンを感じることができる。もちろん、歴史的な価値が高いものには別の意味で魅力を感じる。明治維新という大変革以後、日本人が見失った日本的美を欧米の人が高く評価したということを私たちは忘れてはならない。

2017年10月30日 いつから捨てようか

 衣替えの度にうんざりする。秋の今ならば夏物を片付ける訳だが、一夏に一度も着なかった服があまりにも多い。しかも新規の夏服を買い足しているのだから話にならない。今年は思い切って30着ほど処分したが、今度は秋冬物が床にうずたかく詰まれてしまった。

 周りを見渡すと、衣服に限らず本、陶器など趣味に関する物が整理されないまま溢れかえっている。増やすべきでないと分かっていても、集める癖がなかなか治らない。誰もが欲しがらない物を愛おしく思うのはゴミ屋敷の住人と似ているかも知れない。

 心理学者フロイトの机の上は世界から集めた美術品で溢れていた。スイス人画家パウル・クレーは拾って来た石や貝殻を机の上に無造作に並べていた。彼らはきっと脳を休めたり発想のヒントを得ようとしたのだと思う。しかし世界の偉人と比べても仕方がないので、凡人の私は人生の区切りとして周りにあるものをいつから捨てようかと悩んでいる。

2017年10月24日 風・息・魂

 先日ある人から、古代ギリシャ語では風、息、魂は同じ一つの言葉だと教えてもらった。さっそくネットで調べてみると、プシュケーPsycheとは息・呼吸を意味し、そこから生命・生きる、そして心・魂につながるとある。ヘブライ語のルーアハRuaghは風・霊の意味。なるほど、風・息・魂は同一か近い語源を持っているようだ。

 そこで思い出したのが、フィレンツェのウフィツィ美術館にあるボッテチェリの大作「春」である。神が息を吹きかけると花が咲きほころび、そこにビーナスなど三美神が集い春を謳歌する。かつて「千の風に乗って」という歌が流行ったが、亡くなった方が千の風になって大地や海原を駆け巡るというのも、風・息・魂が一つであるのならば納得できる。

 試しに、風にそよぐ幟を見ながら「魂が幟を揺らしている」と独り言を言ってみた。息を吐きながら、「魂を吐いている」と言ってみた。すると、突如大自然に包まれた感覚に襲われた。しかし冷静に周りを見渡すと、そこには都市ジャングルに囲まれた自分がいた。

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