芭蕉林通信(ブログ)

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2015年07月21日 由来を調べる

 小さい時から切手やグリコのおもちゃなどを集めるのが好きでしたが、この歳になっても物を集めるという癖は治りそうにありません。コレクター心理というのは人それぞれかも知れませんが、私の場合は、発見する喜び、自分だけの物にする満足感、その物の由緒来歴を調べる楽しさなどのためにあると言えます。
 そうした点では、新しい物から古い物まで関心の幅は広く、新しい物では「アップルウォッチ」があり、古い物では、紀元前2千年前の中国の殷の青銅器などが身近にあります。
 最近調べているのは、10年ほど前に東京の青山の骨董店で買った秦・漢時代の瓦一片です。この瓦は硯の代用品として使用されていて、こうした物は瓦硯と呼ばれていたようです。裏面には、硯として墨を磨った跡があり、表面には吉兆か又は家内安全の文字が刻まれています。

 ある本を読んでいましたら、こうした瓦は紙に鉛筆でトレースすると、一つの作品になると紹介されていましたので、早速試してみたが写真のものです。刻まれている文字は「長生無極」。多分、漢の瓦と思いますが、漢だとしても今から約2千年遡るのですから、その間この瓦がどういう経緯で、またどういう人の手を経て伝わって来たかと想像したりして楽しんでいます。
 由来と経緯と言えば、茶道具の場合は、特にその由来が道具の価値を大きく左右します。箱書き、極め、共箱などの言葉も古い道具に特有のものです。千利休から織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に持ち主が変わったという道具がある世界ですから、数寄者にとっては魅力的でたまらないというのもよく分かる気がします。
 そうした大物には無縁ですが、自分なりの審美眼を頼りに、これからも自分のお小遣いで買える範囲で、珍しい物、美しい物、古い物を探していきたいと思っています。


2015年07月13日 48,718

  数字で面白いのは、縁起を担いだり、語呂合わせに使われることです。かつて香港を訪ねた時、自家用車の縁起の良いナンバーはオークションにかけられたり、高値で売買されると聞いたことがあります。現在の日本でも自分の好きなナンバーを選べるようになりましたが、ナンバーが売り買いの対象になったいう話はまだ聞いたことがありません。
 知人で、社有車に「834」と付けた人がいます。郷土を愛するあまりに「馬刺」号と命名した訳です。そこで、私も真似をして「634」と付けようと考えたことがありました。これは、その晩年を熊本で過ごした宮本武蔵に因んだものでした。しかしよく考えますと、目立つナンバーでは至る所で目撃されることになりそうで、結局は無難なナンバーを付けることにしました。今年度中にも配布されるというマイナンバーがどういう数字になるのか、今から楽しみでもあります。
 

 さて、48,718とは、私のパソコンに保管されている写真のデータ数です。海外旅行に行くと平均して1、000枚ほどの写真を撮ってきますので、いつのまにか5万枚に近い写真枚数となってしまいました。パソコンやデジカメがない時代には、撮った写真はネガとして保管し整理していたのですから、今が楽と言えば相当楽です。その代わりに、自分でもコントロールできないほどにデータが自然に累積して行くのですから、良いばかりとは言えません。

 私は意外にも掃除好き(といっても身の回りの範囲で)なのですが、少ない経験から言えば、掃除の基本はいらないモノは捨てることだと思っています。トキメキ整理法の信奉者になろうと思っているぐらいです。
 従って、この無秩序に蓄積された写真の中から、まずは不要なモノ、価値のないモノを捨てることが第一ステップなのですが、一枚一枚見て行くと、その写真を撮った思い出までが蘇ってきてなかなか先に進まないだけでなく、消去が躊躇われるのです。
 さらに悪い事は、最近のパソコンは写真の編集機能が充実しており、操作に慣れると結構素敵な写真に生まれ変わるのです。かくして、写真の整理は、ますます泥沼に陥っているという情けない現状です。
 最後に、クイズを一つ。「1618」が私の車のナンバーですが、その意味は何でしょうか? 

2015年07月09日 石巻の被災地にて

 現地を訪れた7月初旬は、梅雨の中休みともいうべき穏やかな一日でした。案内を買ってくれたTさん自身も3.11の津波に遭遇した人ですから、当日の生々しい話は想像を絶したばかりか私たちを深い悲しみに沈ませるものでした。
 Tさんはショッピングセンターの屋上駐車場で津波を目の当たりにしたのですが、自分の体を鉄柱に結びつけた時には死を覚悟して、足腰の力が抜けたそうです。「死んだ気でやれ」という言葉がありますが、死を意識した時は力が出ないものですと静かに語ってくれました。

 震災時あるいは震災直後の報道写真では、堤防が破壊され、土地が陥没し、家は押し流され、町は瓦礫の山と化していたのですが、3年半経った今では、ただ何もなく広々とした被災地、放棄された家々、その間を縫う様に頻繁に行き交う工事車両があるばかりです。そして、鎮魂の海は今では何もなかったかのように、入り江に海辺に広がっていました。
 あの時には、全国から支援の手や義援金が寄せられましたが、今なお復興には程遠い現状を見て、心は沈みがちになるのはやむを得ないことでした。Tさんの人生観を変え、生活設計をも無にした未曾有の天災に対して、改めて人知の及ばない自然の力を目の当たりにした感を強く持ったのでした。


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