芭蕉林通信(ブログ)

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2014年02月17日 大雪の東京そして春浅き故郷

先週末の東京は2週続けての大雪となり、たまたま上京していた私は慣れない雪道に悪戦苦闘する羽目に陥りました。とはいえ、物珍しさが芽生えたのも事実で、雪景色を写真に収めるのに必死でした。
上野のコルビジェが設計した国立西洋美術館の前庭にある、ロダン作のカレーの市民像は雪をかぶって寒そうでした。

幸いにも土曜日の東京は朝から雨となり、雪が溶け始めたのを見て、夕方便の飛行機は飛ぶのではと期待しました。無事に帰り着いた熊本では、梅林に多くの人が集まるのを見て、日本列島の南北では気象がかくも違うのかと改めて感じた次第です。
東京は素晴らしい経済・文化都市ではありますが、これからは災害にも強い都市になってほしいものです。

2014年02月10日 気になっていた家

いつも通勤時に通る道筋に気になっていた家がありました。
先日、稲荷神社にお参りに行ったついでに、歩いて現地まで行ってみました。好きなことわざに、「犬も歩けば棒にあたる」がありますが、確かに新しい発見がいろいろとありました。

その一つが稲荷神社の前にある創業130年を誇る豆腐田楽の店の発見です。正確に言うと、約30年ぶりにその店の存在を思い出したという訳です。おかげで、それから日をおかず店を訪ね、美味しい田楽の味を堪能することができました。

もう一つの発見は、前回ご紹介した西南戦争に関する史跡で、海軍水平7人の慰霊塔です。明治10年2月21日、官軍の軍艦が上陸をしようとして薩摩軍と戦闘状態になり、官軍の兵士7人が死亡。これが西南戦争の幕開けとなったと説明文にありました。熊本でもこの慰霊塔を知っている人は僅かなことでしょう。

さて、くだんの家は近づいて見ると、住む人のいない廃屋でした。しかし、車窓から見て気になっていた通りに、何とも言えない良い雰囲気で、朽ち果てた木造部分と変色したトタン板が一種のモダンアートのような趣です。
おまけに廃屋の裏側には、隣の寺の納骨堂が縦長のピラミッド型に鎮座しており、古きものと新しきものが渾然と一体化しているのには感心しました。いずれは壊される家ではありますが、最後の輝きを私に示してくれている気がいたしました。
そう言えば、九州新幹線の工事により、多くの踏切が姿を消しましたが、あの時写真に撮って残しておけば良かったと今さらながら後悔しています。

2014年02月03日 西南戦争の絵図

本日地元紙の一面トップを飾ったのは、京都市にある「山本読書室」の土蔵から、平安から明治にかけての史料数万点が発見されたという記事です。全国紙では一般的な文化記事の扱いになっていますので、地元紙でトップ記事になったのは、その史料の中に西南戦争時の史料が多く含まれていたからに他なりません。記事には、岩倉具視が使ったという暗号表が写真入りで紹介されていますから、今後の史料解析に自ずから期待が募ります。
何しろ、熊本は日本最後の内戦と言われる西南戦争の激戦の地となったのですから。

私の執務室には、去年からこの西南戦争の絵図を壁に貼ってきました。これは、郷土の歴史を研究する団体「地名研究会」の世話役からいいただいたものですが、熊本城下が焦土となった中、官軍と薩摩軍との間で激戦となった段山(だにやま)の戦いが大変リアルに描いてあるのです。実は、一面焼け野原になった城下の一隅に先祖が創業した問屋「かめや」があったはずですし、その焼け跡から再起したことが想像できるのです。
こうした絵図は長年熊本に住みながら初めて目にしたものですが、未だ焼け残っている天守閣や今では藤崎台の千年杉として市民の保護活動の対象となっている木の群れが遠望できるのです。

最近読んだ本の一節に、「歴史に目を覆う人は未来について盲目である」とありました。久しく読んでいない、石光真清の「城下の人」4部作を再読する必要がありそうです。

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