芭蕉林通信(ブログ)

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2013年02月18日 熊本のイメージは赤

立春を過ぎたとはいえ、当地では三寒四温の一進一退の天気が続いています。そうした不安定な気候にあっても、いつものように長い歴史を誇る植木市が始まりました。何しろ春を呼ぶ風物詩ですから、開幕直後に見てきました。期間中には、もう一回は行きたいと思っています。

さて、新年早々に嬉しい発表がありました。それは、熊本県が県産品のブランド化を進めるにあたって、熊本のイメージカラーを赤としたことです。さっそく、赤に関する地元製品の登録が始まっています。
では、なぜ嬉しいかということですが、それは2004年に遡ります。2004年3月13日に、熊本県の新八代駅と鹿児島県の鹿児島中央駅間で九州新幹線が部分開業した時のことです。

当時私は地元の一人として、新幹線開業を盛り上げるために一生懸命でした。所属していた熊本経済同友会では、新しい観光と集客に関する部会を新たに作り、県民運動「熊本城築城400年と熊本ルネッサンス」には当初より参画。熊本商工会議所では、実行委員長として「熊本観光・文化検定」をスタートさせることができました。

自社リスクとして発案したのが、熊本・鹿児島両県の食文化に着目した「肥後の赤、薩摩の黒」という色をイメージした作戦です。詳しくは論じませんが、細川家からは九曜紋を、島津家からは丸に十の字紋を、JR九州からは新幹線の写真をお借りする事ができ、一定の食文化の発信には貢献できたと喜んだものです。

ところが本年になった、改めて熊本県が熊本のイメージを赤として、県民に広く告知してくれることになったのですから、発案した者としては再評価していただいたようで感激したという訳です。幸いにも、その運動の一環として、弊社はこれまで数多い地産地消製品を開発し世に問うてきましたので、これからは製品を通して地元のイメージアップに協力していきたいと思っています。






2013年02月01日 トルコの細密画

塩野七生さんの本に、コンスタンチノープルがオスマン帝国の攻撃に破れさるという場面が登場するのは、開戦三部作の一つ「コンスタンチノープルの陥落」です。
ビザンツ帝国の最後の皇帝が、白い馬に緋のマントを着て最後を遂げる場面は、その色の鮮やかさもあって、まるで目の前に見るかのような印象でした。

昨年トルコに行った際に手に入れたかったのが、オスマン朝からの伝統芸術である「細密画」でした。機中に、オルハン・パムクの著書「私の名は赤」を読んでいたせいかも知れません。この本は、オスマン朝のおかかえ絵師、細密画を描く人たちの物語だったのです。
そして、泊まったホテルのギャラリーで偶然に見つけたのが、メフメト2世がコンスタンチノープルを陥落させる際の有名な逸話の場面を描いた一枚の絵でした。

大学の講師が描いたというのですから古いものではないのですが、馬に乗ったメフメト2世の凛々しい姿、山越えに船を金角湾に運ぶ群像が細密画の手法で描かれているのに感動しました。後でしまったと思ったのですが、その時は一切値切ろうとする気にはなれず、とにかく絵を手に入れたい一心でした。
難攻不落と詠われた三重の堀を巡らした旧都を、裏側から攻略するオスマン軍のテントや大砲、大地には糸杉や可憐な花、空には星の数々が細密に描かれていて、小説の一シーンが鮮やかに突然に現れた感じがしたものです。
かくして、オスマンからトルコ共和国に至る勉強が今日まで続いています。

2013年01月21日 父の年齢

自分の年齢を自ら語るというのは、自慢か卑下か判断が難しいところです。私の場合は、23年前に亡くなった父の年齢と同じになるということが自分の年齢を気にしている由縁です。
父の亡くなった歳に近づいて実感するのは、父が亡くなった時感じていたであろう心境の一端です。ゴルフが好きで休日には近くの山を歩いて体力維持に気を使っていた父が、病気の進行を知った時の驚きは想像するに余りあります。私にしても、この歳でもう不治の病ですと申告されたならば、心は千々に乱れるはずです。あまりに早い死だったと思います。
父は残念であったろうし、悔しくもあったはずです。その父は今、熊本でも古い町並みが残っている唐人町近くに静かに眠っています。

かくいう私にも確実に心境の変化があります。それは若い世代に事を託すお手伝いをしたいという思いです。
トルコのノーベル文学賞受賞作家オルハン・パムクは、受賞式のスピーチで「父の鞄」について話ました。彼の著書「イスタンブール」を読むと、両親の不仲や父の事業の相次ぐ失敗などが克明に描写されており、それらがイスタンブールの憂愁と溶け込む様子がよくわかります。つまり、父と子の関係はそう簡単なものではなかったはずなのですが、オルハン・パムクは懐かしそうに父の思い出を語るのです。
父と息子というのは大人になるに従って、男同士の複雑な関係になります。父は息子にいろいろと期待をしますが、息子は父に反発するようになります。反発は決して悪い訳ではなく、社会人として自立する通過儀礼の意味があります。父は息子に言葉で伝えるのではなく、体や行動で伝える方が良いように思えます。
同じように、私の世代は自分よりも若い人や次の世代に、経験や志を伝えることが大事であり、使命であろうと思います。
できれば父の年齢を超えて長生きするばかりではなく、父が果たせなかった夢や使命を父に代わって果たすことができればいいなと思っています。




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