芭蕉林通信(ブログ)

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2012年07月09日 ギリシャの面

ギリシャが国家財政の破綻回避に躍起になっています。相次いで議会選挙が実施されましたが、その度にギリシャの観光産業に大きな打撃になっていると報道されているのは心配です。
平和な日本に住んでいると意外と見落とすのが、観光は平和産業だということです。戦争があったり、治安が悪い所には、そもそも観光に出かけようという気にはならないからです。
ギリシャのことを考えていたら、まだ子供が小さかった時に、家族旅行でギリシャに行ったことを思い出しました。

ギリシャに行ったのは、とても暑い夏の頃でした。子供が小学生と中学生だったので、二人の夏休みを利用したので、暑い季節になったのはやむを得ないことでした。
私にとって初めてのギリシャは、ギリシャ哲学や数学、あるいは民主主義の生まれた偉大な歴史を持った国というイメージでした。丘の上に立つパルテノン神殿の偉容や古代オリンピックの会場跡地などは、期待以上の感動を与えてくれたものです。
エーゲ海クルーズは日帰りコースで体験しましたが、エーゲ海に点在する島々の真っ白い家の数々が紺碧の海に色に一層鮮やかに見えたことを思い出します。
そんな一夕、アテネの観光客向けの瀟洒な通りを散策しました。経済危機などは無縁の時代ですから、何の不安を持つこともなく、レストランやおみやげ物屋さんが並ぶ町並みを堪能したのです。その内の一軒の店で買い求めたのが、ターバンをライオンのメダルで押さえた面でした。陶製の面ですから、割れないようには気をつけてきたのですが、長い年月に両耳の際にぶら下がっていた装飾品は切れてなくなりました。しかし面は今なお、ギリシャの持っている海洋性、古代から文明を栄えさせた気品といったものを宿しているような気がします。
仮面舞踏会、マスカレードというものがあります。誰だか忘れましたが、「人生は仮面舞踏会」と言っていました。むき出しの感情をオブラートに包んで円滑な人間関係を築こうとするのは、まさに仮面の行為だという気がします。
改めて、くだんのギリシャの面を見れば、空洞となっている眼窩がもっとも能弁に見えてくるのですから、実に不思議な気がします。
今、ギリシャの国民の多くは何を考えているのでしょうか。ガンダーラの石仏のように彫りの深い顔に憂いを秘めて哲学しているのでしょうか。
あの陽気な、松ヤニで作った酒で楽しく酔うギリシャに戻ってもらいたいものです。

2012年07月06日 熊本の老舗ー吉田松花堂訪問記

昔からの夢の一つが叶いました。
熊本は江戸時代は肥後藩といい、加藤清正が熊本城を築城して以来、立派な城郭とそれを囲むようにした城下町が発展してきました。しかし、明治10年に起こった西南の役で、古い城下町一帯が灰燼に帰したのは残念なことです。
明治19年に発刊された「熊本県 商工技芸早見便覧」と称する一種の企業案内には、当時の代表的な商家120数軒が銅版画となり紹介されています。その中の一つがわが社の前身である乾物問屋「かめや」ですが、もちろん西南の役の跡に再建された店が版画となって残されています。
それら紹介された商家の中で唯一現存しているのが、新町にある吉田毒消丸という薬を製造する「吉田松花堂」です。その老舗に、50年ぶりに訪れることができたのは、冒頭に述べたように、長年の夢が叶ったというものでした。

特別なものや非日常な体験というのは、知らず知らずの内に記憶に残っているものです。
当時、つまり私が小学校4年生か5年生の頃ですから、ほぼ50年前のことになります。運動会のクラス対抗リレーの打ち合わせをすることになって、関係者が集まったのが吉田家の座敷でした。堂々として店構えの中に入ると暗い土間があり、その先の座敷から見た築山のある広い庭に、子供ながら大いに感動したものです。
立派な庭の記憶があったお陰でリレーの打ち合わせをしたことを覚えている訳で、庭がなかったならばリレーに出たことすら忘れていた可能性が大きかったでしょう。まさに、記憶は何かと連動して強まるものなのです。
さて、果たして50年前の記憶は正しかったかどうかと言いますと、約30%程度は記憶に近似していたというところです。築山と池は記憶のままにありましたが、細部となると全く新鮮な目で見る思いでした。
お住まいになっている吉田家の皆様の旧家を守る苦労を感じたのですが、事前に想像していた通りに、熊本市内の民家の庭としては名園であることは間違いないと確信しました。
それにしても、私の家が今となっては影も形もないのが惜しまれる一日でした。

2012年06月25日 国内外で見つけた熊本

思いがけない場所で地元熊本に関した事に出会うことがあります。先週初めてジャズのコンサートに行ったのは、著名な山下洋輔さんが演奏するからでした。
今日その時に買った山下洋輔さんのソロアルバムをCDで聴いていた時に、その6曲目にMt.Senbaがあったのには感激しました。何せ、自宅の近くにある船場山、かの有名な「あんたがさどこさ」の手まり唄がアレンジされて居たのですから。

ということで、過去に国内外で出会った熊本を次々と思い出しました。

東京で歌舞伎を見に行った時のことです。何気なく見た歌舞伎のその日の演目は「二条城の清正」でした。郷土の英雄、清正公が歌舞伎の演目になっているとはつゆ知りませんでした。今もって熊本でこの歌舞伎があることを知っている人はどれほどの数がいるのか疑問に思っているところです。

次は、アメリカのニューヨークでオイスターバーに行った時のことです。注文しようと英語で書いてあるメニューとにらめっこしていると、Kumamotoの文字が目に入ってきたのです。何と、アメリカで牡蠣の有名かつ人気のあるブランドが、我らが郷土である熊本の名を冠していたのです。後日帰国して調べたところ、戦後アメリカで牡蠣が壊滅状態になった時に、熊本から多くの稚牡蠣が太平洋を渡り、アメリカで飼育され広がっていったことを知りました。

さて先々週の博多駅前の広場では、バラの花びらで装飾したローズガーデンが披露されていました。そこで見つけたのが、聖火を持って馬?に乗っているクマモンという訳です。かつて細川知事時代に日本一作り運動というものがありましたが、時代を経て、クマモンが日本一になって今や県の宣伝部長として大活躍という訳です。

これからも世界で、思いがけない熊本との出会いを楽しみたいと思います。

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