2012年08月01日 ロンドンの思い出
![]() そのロンドンを訪問したのは、2年前。オリンピックの準備が進んでいるという感じは全くなかったのが今では不思議です。「一日一文」という本を読んでいましたら、8月3日の欄には吉田健一氏(評論家、英文学者、小説家)の「英国の文学」の一節が取り上げられていましたので、そのままここで紹介します。 春から秋に掛けての英国の自然が、我々東洋人には直ぐには信じられないくらい、美しいならば、英国の冬はこれに匹敵して醜悪である。そして、冬が十月に来る国では、この二つの期間はその長さに掛けて先ず同じであって、英国人はこういう春や夏があるから冬に堪えられるのでなしに、このような冬にも堪えられる神経の持主なので春や夏の、我々ならば圧倒され兼ねない美しさが楽しめるのである。 私たちが英国を離れたのは9月30日でしたので、吉田氏が指摘した10月の英国を体験することは出来ませんでした。その代わりに、イングリッシュ・ガーデンが広がる王立植物園「キュー・ガーデン」を堪能できましたし、ちょうどその頃が学校の卒業シーズンなのでしょうか、学生の群れの中から彩り鮮やかな中世のマントを羽織った先生達の晴れやかな顔を望見することができました。 産業革命で一端は自然を破壊した英国人が、自然環境への思いを取り戻したことや、今なお続く歴史と伝統を、短いロンドン滞在期間中垣間見た思いがします。 今でも目を閉じれば、エジンバラ城を取り巻くマイルロードという歴史を感じさせる石畳の路、湖水地帯の豊かな田園風景、幾多の桂冠詩人や文豪、ストーンヘッジや古代ローマの遺跡群が、懐かしくまぶたの裏に浮かび上がります。 そうした英国で、今日本から参加したオリンピック選手らで、新たな歴史が作られようとしているのは、とても感慨深いものがあります。 がんばれ、ニッポン。 |
2012年07月09日 ギリシャの面
![]() 平和な日本に住んでいると意外と見落とすのが、観光は平和産業だということです。戦争があったり、治安が悪い所には、そもそも観光に出かけようという気にはならないからです。 ギリシャのことを考えていたら、まだ子供が小さかった時に、家族旅行でギリシャに行ったことを思い出しました。ギリシャに行ったのは、とても暑い夏の頃でした。子供が小学生と中学生だったので、二人の夏休みを利用したので、暑い季節になったのはやむを得ないことでした。 私にとって初めてのギリシャは、ギリシャ哲学や数学、あるいは民主主義の生まれた偉大な歴史を持った国というイメージでした。丘の上に立つパルテノン神殿の偉容や古代オリンピックの会場跡地などは、期待以上の感動を与えてくれたものです。 エーゲ海クルーズは日帰りコースで体験しましたが、エーゲ海に点在する島々の真っ白い家の数々が紺碧の海に色に一層鮮やかに見えたことを思い出します。 そんな一夕、アテネの観光客向けの瀟洒な通りを散策しました。経済危機などは無縁の時代ですから、何の不安を持つこともなく、レストランやおみやげ物屋さんが並ぶ町並みを堪能したのです。その内の一軒の店で買い求めたのが、ターバンをライオンのメダルで押さえた面でした。陶製の面ですから、割れないようには気をつけてきたのですが、長い年月に両耳の際にぶら下がっていた装飾品は切れてなくなりました。しかし面は今なお、ギリシャの持っている海洋性、古代から文明を栄えさせた気品といったものを宿しているような気がします。 仮面舞踏会、マスカレードというものがあります。誰だか忘れましたが、「人生は仮面舞踏会」と言っていました。むき出しの感情をオブラートに包んで円滑な人間関係を築こうとするのは、まさに仮面の行為だという気がします。 改めて、くだんのギリシャの面を見れば、空洞となっている眼窩がもっとも能弁に見えてくるのですから、実に不思議な気がします。 今、ギリシャの国民の多くは何を考えているのでしょうか。ガンダーラの石仏のように彫りの深い顔に憂いを秘めて哲学しているのでしょうか。 あの陽気な、松ヤニで作った酒で楽しく酔うギリシャに戻ってもらいたいものです。 |
2012年07月06日 熊本の老舗ー吉田松花堂訪問記
![]() 熊本は江戸時代は肥後藩といい、加藤清正が熊本城を築城して以来、立派な城郭とそれを囲むようにした城下町が発展してきました。しかし、明治10年に起こった西南の役で、古い城下町一帯が灰燼に帰したのは残念なことです。 明治19年に発刊された「熊本県 商工技芸早見便覧」と称する一種の企業案内には、当時の代表的な商家120数軒が銅版画となり紹介されています。その中の一つがわが社の前身である乾物問屋「かめや」ですが、もちろん西南の役の跡に再建された店が版画となって残されています。 それら紹介された商家の中で唯一現存しているのが、新町にある吉田毒消丸という薬を製造する「吉田松花堂」です。その老舗に、50年ぶりに訪れることができたのは、冒頭に述べたように、長年の夢が叶ったというものでした。 特別なものや非日常な体験というのは、知らず知らずの内に記憶に残っているものです。 当時、つまり私が小学校4年生か5年生の頃ですから、ほぼ50年前のことになります。運動会のクラス対抗リレーの打ち合わせをすることになって、関係者が集まったのが吉田家の座敷でした。堂々として店構えの中に入ると暗い土間があり、その先の座敷から見た築山のある広い庭に、子供ながら大いに感動したものです。 立派な庭の記憶があったお陰でリレーの打ち合わせをしたことを覚えている訳で、庭がなかったならばリレーに出たことすら忘れていた可能性が大きかったでしょう。まさに、記憶は何かと連動して強まるものなのです。 さて、果たして50年前の記憶は正しかったかどうかと言いますと、約30%程度は記憶に近似していたというところです。築山と池は記憶のままにありましたが、細部となると全く新鮮な目で見る思いでした。 お住まいになっている吉田家の皆様の旧家を守る苦労を感じたのですが、事前に想像していた通りに、熊本市内の民家の庭としては名園であることは間違いないと確信しました。 それにしても、私の家が今となっては影も形もないのが惜しまれる一日でした。 |