芭蕉林通信(ブログ)

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2012年08月28日 熊本の宝の一つ ”肥後あさがお”

長年熊本に住み、観光振興のお手伝いをしながら、どうしても完全に覚えら切れないのが「肥後六花」の花の名前でした。もちろん調べれば、六種類の花が肥後椿、肥後芍薬、肥後菖蒲、肥後朝顔、肥後菊、肥後山茶花だということは分かります。しかし、記憶するとなると、なかなか花の種類が出てこないのです。
記憶といえば、こんな経験があります。43年間続けているテニスにおいては、プレイ中のボールのやりとりを結構覚えているのですが、ゴルフでは、一ホールが終わる度に、途端に前のホールを思い出せなくなるのです。
これは関心の強弱とプレイを組み立てたか刹那的にしたかということに依っている気がするのですが、実際はどうなのでしょう。さしずめ、肥後六花の場合は記憶する必要はあまりなく、さらには肥後六花が好きで好きでたまらないという訳でもないので、いつまでも記憶できないのでしょう。

先日、熊本城内で肥後朝顔展があるという情報があり、朝にしか見られないという花を見に行きました。詳しいしきたりはわかりませんが、肥後朝顔は細川家の九曜紋が染められた幕の下、二段構えに見事に陳列されていました。驚いたことは、一鉢に一輪の朝顔が丈低くきれいに揃えられ花を咲かしていることです。花びらの色も模様も千差万別、写真と現物とは大違いです。昼になれば、花をしぼませるという朝顔のはかなさもあり、感激ひとしおでした。
実は、肥後六花の現物に出会うのは、これで二回目。一度目は、昨秋の肥後菊でしたが、その時も三段構えに陳列された可憐な菊たちに感激したものです。しばらくはその時撮った肥後菊の写真が、私の携帯電話の待ち受け画面として目を癒してくれました。
ということで、今回は肥後朝顔のベストショットをご披露いたします。江戸時代の武士は、鍛錬と芸術のためにこうした趣味を武家文化として守り伝えたのです。お陰で現代人の我々は、生きてる花をこんなにも身近に見られるのですから、ありがたいものです。これからも、この伝統が守られていくことを心から願っています。

2012年08月01日 ロンドンの思い出

連日のオリンピックの実況放送に寝不足に陥っていましたら、今日の朝刊に野田首相もテレビ観戦で眠い顔をして国会論戦に臨んでいたとあり、思わずニヤリとしました。とはいえ、一国の首相が、その重圧に苦しみながらもTV観戦する余裕を持っているということに少し感心させられました。
そのロンドンを訪問したのは、2年前。オリンピックの準備が進んでいるという感じは全くなかったのが今では不思議です。

「一日一文」という本を読んでいましたら、8月3日の欄には吉田健一氏(評論家、英文学者、小説家)の「英国の文学」の一節が取り上げられていましたので、そのままここで紹介します。

春から秋に掛けての英国の自然が、我々東洋人には直ぐには信じられないくらい、美しいならば、英国の冬はこれに匹敵して醜悪である。そして、冬が十月に来る国では、この二つの期間はその長さに掛けて先ず同じであって、英国人はこういう春や夏があるから冬に堪えられるのでなしに、このような冬にも堪えられる神経の持主なので春や夏の、我々ならば圧倒され兼ねない美しさが楽しめるのである。

私たちが英国を離れたのは9月30日でしたので、吉田氏が指摘した10月の英国を体験することは出来ませんでした。その代わりに、イングリッシュ・ガーデンが広がる王立植物園「キュー・ガーデン」を堪能できましたし、ちょうどその頃が学校の卒業シーズンなのでしょうか、学生の群れの中から彩り鮮やかな中世のマントを羽織った先生達の晴れやかな顔を望見することができました。

産業革命で一端は自然を破壊した英国人が、自然環境への思いを取り戻したことや、今なお続く歴史と伝統を、短いロンドン滞在期間中垣間見た思いがします。
今でも目を閉じれば、エジンバラ城を取り巻くマイルロードという歴史を感じさせる石畳の路、湖水地帯の豊かな田園風景、幾多の桂冠詩人や文豪、ストーンヘッジや古代ローマの遺跡群が、懐かしくまぶたの裏に浮かび上がります。

そうした英国で、今日本から参加したオリンピック選手らで、新たな歴史が作られようとしているのは、とても感慨深いものがあります。 
がんばれ、ニッポン。

2012年07月09日 ギリシャの面

ギリシャが国家財政の破綻回避に躍起になっています。相次いで議会選挙が実施されましたが、その度にギリシャの観光産業に大きな打撃になっていると報道されているのは心配です。
平和な日本に住んでいると意外と見落とすのが、観光は平和産業だということです。戦争があったり、治安が悪い所には、そもそも観光に出かけようという気にはならないからです。
ギリシャのことを考えていたら、まだ子供が小さかった時に、家族旅行でギリシャに行ったことを思い出しました。

ギリシャに行ったのは、とても暑い夏の頃でした。子供が小学生と中学生だったので、二人の夏休みを利用したので、暑い季節になったのはやむを得ないことでした。
私にとって初めてのギリシャは、ギリシャ哲学や数学、あるいは民主主義の生まれた偉大な歴史を持った国というイメージでした。丘の上に立つパルテノン神殿の偉容や古代オリンピックの会場跡地などは、期待以上の感動を与えてくれたものです。
エーゲ海クルーズは日帰りコースで体験しましたが、エーゲ海に点在する島々の真っ白い家の数々が紺碧の海に色に一層鮮やかに見えたことを思い出します。
そんな一夕、アテネの観光客向けの瀟洒な通りを散策しました。経済危機などは無縁の時代ですから、何の不安を持つこともなく、レストランやおみやげ物屋さんが並ぶ町並みを堪能したのです。その内の一軒の店で買い求めたのが、ターバンをライオンのメダルで押さえた面でした。陶製の面ですから、割れないようには気をつけてきたのですが、長い年月に両耳の際にぶら下がっていた装飾品は切れてなくなりました。しかし面は今なお、ギリシャの持っている海洋性、古代から文明を栄えさせた気品といったものを宿しているような気がします。
仮面舞踏会、マスカレードというものがあります。誰だか忘れましたが、「人生は仮面舞踏会」と言っていました。むき出しの感情をオブラートに包んで円滑な人間関係を築こうとするのは、まさに仮面の行為だという気がします。
改めて、くだんのギリシャの面を見れば、空洞となっている眼窩がもっとも能弁に見えてくるのですから、実に不思議な気がします。
今、ギリシャの国民の多くは何を考えているのでしょうか。ガンダーラの石仏のように彫りの深い顔に憂いを秘めて哲学しているのでしょうか。
あの陽気な、松ヤニで作った酒で楽しく酔うギリシャに戻ってもらいたいものです。

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