芭蕉林通信(ブログ)

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2011年11月05日 フランス視察報告(第5回)

  エクス・アン・プロヴァンス(Aix-en-Provence)

 セザンヌが生まれ、晩年を過ごした美しき水の都である。
人口は14万3千人で学術・芸術都市としてプロヴァンス地方の観光の拠点となっている。街には大小様々な噴水があり、市民憩いの場になっている。大学があるせいか若い人が目立ち、常設の青果朝市のある中心部は活気あふれている。
セザンヌは印象派の画家からは少し距離を置き独自の画風を確立し、その後に続くピカソらに多大な影響を与えた。セザンヌの名を冠した施設や通りがあり、セザンヌによる街起こしが実施されている。
この地にある芸術学校内には、熊本の喜多流狩野秀鳳さんが能舞台を寄贈しており、毎年狩野一門による演舞がなされるなど熊本との縁も深い。

コラム Column 
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《セザンヌについて》
 セザンヌのアトリエは事前予約のみで見学が可能。
アトリエは一時放置されていたが、一篤志家によって保護されていたため、今日当時のままの姿で保存されたのは幸いであった。アトリエは晩年のセザンヌが裕福な両親の援助により理想の空間を作ったもので、南北両面に広い窓が開けられている。しかし南側の窓には二重の鎧戸とカーテンが設置されおり、光の微妙な調整ができるように工夫されている。床も通常はタイル貼りのところを木でしつらえてあり、優しい光が得られるようにしてあった。
セザンヌは近くの住居から毎日アトリエに通い、午前中は静物を描き、午後になるとサント・ヴィクトワーロ山を見渡す高台に写生に出かけた。これは、山が午後には順光になったからである。
アトリエ内には、名画に描かれた童子像やコップ、ベトナムの壺、三個のしゃれこうべなどと共に写生時に使ったリュックサックや杖、外套がそのまま残されていて感激した。セザンヌは大の林檎好きであったが、とりわけ腐りかけた林檎の甘い香りを好んだ。
「私は、一個のリンゴで、パリを仰天させてやりたいのだ」言ったといわれているが、なるほどセザンヌの描いた林檎の存在感は今なお多くの人を魅了して止まない。

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 アルル(Arles)

 今では人口5万2千人を数える、古代ローマ時代から栄えた都市である。カエサルとポンペイウスが覇権を争った時にチャンスが到来した。近くのマルセイユがポンペイウス側についたのに対して、アルルはカエサル側についたのである。カエサルが勝利した結果、マルセイユが没落し、アルルがローマ軍の正式な植民地に昇格した。
今日、ローマ軍が作った円形闘技場や古代劇場、共同浴場などが数多く残るのは、そうした理由からである。
また、画家ゴッホが2年強滞在する内に300点の作品を描き残した地として有名である。ここもまた、観光客がゴッホの足跡を辿れるように、描かれた多くの場所にはゴッホの絵が設置されており、興味を沸き立たせる工夫があった。
ゴッホは生前一点の作品も売れず、かつ狂人として住民から嫌われ避けられた。肖像画家を自認するゴッホの作品に自画像が多いのは、ゴッホの絵のモデルになる人が少なかったという話がある。
しかし、アルルが今日ゴッホの住んだ街として知られ、世界中から観光客を集めているのは皮肉なことである。確かに、ゴッホが描いた「夜のカフェテラス」「ローヌ川の星月夜」「公園」「ラングロワの橋」「アルルの病院の庭」「アリスカン」などを訪ね歩き現場に立つことができたのには感激した。ただ、ゴッホが一時期ゴーギャンと一緒に過ごしたアトリエは爆撃で焼失していたのは惜しまれた。

2011年11月04日 フランス視察報告(第4回)

ニース(Nice)

 この地域の中心都市であるため 人口は34万7千人と多く、海辺にありながら立派な建物が多い。
ここで注目したのは、中心街を走る路面電車である。スタイリッシュなボディデザインで、電柱や架線は一切ないために、景観を損なうというより景観の一部として見事に解け合っている。警察官は、一人乗りのセグウェイで巡回しており、これまた観光資源かと見間違うほどである。
朝には、花や野菜、地元の雑貨を売る朝市が立つが、住民や観光客が集まる活気あふれる一帯となっている。色彩的にも美しく、周りの建物と調和しているのに感心させられた。
ここには、シャガール美術館があり、聖書を題材とした大作シリーズは見応えのあるものであった。他に、マティス美術館もあり、美術の好きな観光客には魅力的な都市となっている。




■カンヌ(Cannes)

 言わずと知れたカンヌ国際映画祭で有名である。ニースに比べるとやや小ぶりな感がするが、紺碧の海にはヨットハーバーがあり、隣接した映画祭会場のコンベンションホールでは、映画祭がない時には各種のイベントが開催されている。
ここも、ヨーロッパ北部の国であるイギリスやドイツ、オランダなどの国民が明るい太陽を求めて来る所であり、浜辺には肌を焼いている人が散見された。かつて、「南仏プロヴァンスの12ヶ月」という本がベストセラーになったが、まさにここらからエクス・アン・プロヴァンスにかけては、陽光あり自然あり美味しい食事あり、という遠い北方の人たちの憧れの地域なのである。人口は約7万人である。

2011年11月03日 フランス視察報告(第3回)

■マントン(Menton)

  人口2万8千人のマントンはジャン・コクトーが愛した町として知られている。紺碧の海に面して浜辺があり、取り囲むようにしてホテルや高級住宅が並んでいるのは、この地域の一環した形である。マントン郊外には、崖の上の村として著名なエズがある。いわゆる数多くある「鷲の巣村」と呼ばれるものの一つである。8世紀から10世紀にかけては、サラセン人の侵略が相次いだ地域であったため、住民は山の上へ、内陸へと移動し町を作らざるを得なかった。その名残がアルプスの山中や、地中海沿岸から少し入った所に散見される山や崖の上の町なのである。
なお、マントンは2月に開催されるレモン祭りが有名である。













■モナコ(Monaco)

車中からモナコの海に夥しく点在するクルーザーやヨットの豪華さに目を奪われた。ヨットショーが開催されていた影響かも知れないが、一人当たりGDPが19万5千ドルという超リッチなお国柄を感じるには十分な光景であった。モナコ公国は、個人所得税はなく、タックスヘイブンの国と認定されている。世界の富豪が住み着いており、日本人ではサッカーの中田英寿やウォーキング術のデューク更家などがいる。
ここにも、豪華な建物のカジノがあり、F1のモナコグランプリなど世界中から観光客を集める仕掛けがある点には注目すべきである。
ただ、モナコ人というのは人口3万2千人の僅かに16%に過ぎず、フランス人が46%、イタリア人が16%という構成である。軍事、治安は契約により、フランスに依存している特殊性がある。
豪華な建物の周りに多くの見物客が集まっているのは、パリのオペラ座を手がけたガルニエ設計のカジノ「ル・カジノ・ドゥ・モンテカルロ」である。全面に駐車しているのは高級車ばかりであり、華やかな雰囲気がこの一画には漂っていた。

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