芭蕉林通信(ブログ)

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2010年12月16日 大連のロシア人街

11月の下旬、一年ぶりに生産委託先の工場がある大連に行ってきました。この15年の間で、初めて行ったのがロシア人街です。

NHKで、坂の上の雲の第2部がスタートしました。日露戦争の前夜の場面で、ロシアの極東進出の話となり、今や大連にはロシア人街が作られている、といったシーンがありました。
今回見学したのは、そのロシア人街の一部だったのかも知れないと今更ながら思い出しています。その日は、とんでもない寒い日で、厚手のコートを着ながらもブルブル震えながら街を散策しました。

独特の建物の意匠と色が印象的でしたが、ロシア人らしき人は全くおらず、中国人の経営する土産物屋ばかりが目立ちました。中国といいロシアといい領土大国同士の付き合いは昔から難しいものだったのだろうと想像しました。

21世紀の日本人は、これからは元気を出して、万里の長城や、インドのデカン高原の上に出る一柁の雲を目指して歩き出さなければならないのでしょうか。

2010年12月02日 子供の頃のしりとり遊びを思い出しました。

昨日の講演は、「今 何故 坂の上の雲か」というものでした。
講師が日本海海戦においてバルチック艦隊をほぼ全滅させた、という話を聞きながら、突然昔の記憶がよみがえったのです。

それは、次のようなものです。
すずめ
めじろ
ロシヤ
やまんごく
クトパトキン
金の玉
負けて逃げるはちゃんちゃん棒
棒で叩くは犬殺し
シベリア鉄道長けれど
土瓶の口から飛び出せば
バルチック艦隊全滅す

まるで「失われた時」のように、50年ほど前のしりとりを思い出したのには、自分ながら驚きました。
一体、なぜ小さな子供の頃にこのような時事的なしりとり遊びをしていたか、近いうちに80才を越えた母に確かめたくなりました。

きっと、日露戦争における日本海海戦の勝利の喜びがいつの間にか子供のしりとり遊びとなり、語り継がれていたのでしょう。
講演を同じく聴いていた約100名の聴取者の中には、誰一人としてこのしりとりを知らなかったのも面白いことと思いました。

今日の写真は、自宅近くにある柿原養鱒場の秋の景色です。

2010年11月04日 上海万博に行ってきました

先月、上海万博が閉幕したようです。世界最大の入場者を記録したということでしたが、私たちが見学した日は日中で30万人とカウントされていました。普通は一日60万人ぐらい来るそうですが、会場が広いせいかゆったりした感じがしたものです。

万博会場には、当然のことですが中国人の入場者が数多く見られましたが、民族や服装はばらばらで、複雑な国内事情を見るようでした。訪中した直前に生じた尖閣列島事件の影響を感じることもなく、日本館で行われた九州・沖縄ウィークのオープニング・セレモニーに参加することができました。
さて、来場者の大半は顔つきや服装などから観察すると都市部というより農村部からの動員がかかっているかのような印象です。中国のことですから、会社を休業したり、村全体で動員をかけたりすることもあったのではないでしょうか?!
それにしても、会場内の建物はスケールが大きく、しゃれたデザインもあり、躍進する中国の勢いを感じさせてはくれました。
中でも印象に残ったのは、一つは日本館の外装デザインです。なんとも奇妙なデザインに思わず、テーマは何か質問したところ、蚕の繭をイメージしたとのことです。しかし、私にはどうしても紫色した海鼠にしか見えませんでした。
もう一つは、万博文化センターという巨大パビリオンに味千拉麺の店舗が入店しており、そこで昼食をとったことです。その店の責任者は中国人の女性国際部長でしたが、住まいが熊本市帯山と聞いてびっくりしたものです。
ともあれ、大変思い出に残る視察ができた一日でした。

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