2010年08月09日 明治19年の資料発見
弊社は明治2年に乾物問屋を創業し、今年141年目を迎えました。 昨年は140周年の各種記念行事に取り組んだのですが、とりわけ社史を作る際には、資料集めに苦労したものです。 ところが、一昨日、熊本の古書店で偶然にも、弊社の明治19年当時の店構えが版画になっている資料を発見しました。これまでは昭和になって復刻された版画集「熊本 商家繁盛図録」を唯一の資料と思っていたのですが、今回入手した資料は版画集の原本に当たるもので、大変貴重なものです。 一目見た時に、その冊子の小ささと表題に目が釘付けとなりました。なぜかならば、原本によると、表題は「熊本縣下 商工技藝早見便覧」であり、復刻版とは全く異なります。また、中身の版画はどれもが鮮明この上なく、登場人物には影までが描いてあるほどで、復刻版では見られない繊細な表現が確認できました。 これから多くの機会に、この貴重な資料を積極的に公開して行きたいと思っています。 ![]() |
2010年08月06日 大賀ハス
熊本県の山鹿市には、ハス園があります。暑い夏の一日、思い出したように初めてハス見学をしてきました。我が家で睡蓮を栽培していますが、今年は花芽が次々とでき、花が咲く度に、凛とした花のたたずまいに感激しています。 そのような体験もあり、休日に突然大賀ハスを見に行こうという話になりました。大賀ハスとは、植物学者だった(?)大賀博士という方が、縄文か弥生の遺跡から発見したハスの種を栽培し、見事に大輪の花を咲かせたということで有名になったものです。昭和26年に発見された種は、翌27年にはきれいに花を咲かせたそうです。 ハスには素人の悲しさから、昼過ぎに行くつもりで現地に問い合わせたところ、花は午前中で終わるとのことで慌てて家を出ました。10時頃には現地に着いたのですが、当日は幸い曇り空でもあり、大型で凛とした多くのハスの花を見ることができました。もちろん、お目当ての大賀ハスを発見、花の横の大きな葉には、油蝉が涼んでいました。 ハスを見て改めて驚いたのは、茎が地上に伸び、高さが大人の背丈ぐらいになることでした。熱心な素人カメラマンに混じって、私も流れる汗を拭き拭き、何枚かの美しい写真を撮れたのは嬉しいことでした。 詳しい方に聞けば、見頃は朝の6時とのこと。来年は早起きして、美しハスの花がぽんと音を立てて開く様を見に行こうと誓って帰路につきました。 ![]() |
2010年07月22日 手間暇のかかるもの
先日、羽田空港での待ち時間を利用して、文房具店で赤色の万年筆を買いました。これで、既に持っている黒、白、青と合わせて4色が揃うことになりました。 万年筆の魅力は、なんと言っても匂い立つようなインクの香りや色、そして手間暇かけてするインク交換などです。ペン先の繊細な刻印や少し太めの胴回りなども眼や手の感触を楽しませてくれます。 先般、ある雑誌が、あたなはボールペン派?それともシャープペン派?という企画をしていました。人はいろいろのこだわりを楽しんでいるようです。もっともこだわりは、趣味の世界では当たり前のことと言っても過言ではないでしょう。 團伊玖魔氏の名エッセイ「パイプのけむり」シリーズを読んでいた時、こだわりについての記述を見つけたことがあります。コーヒーに凝った團氏は、趣味は時間をかければかけるほど良いという考えの下で、八丈島にコーヒーの木を植えたのです。かつて、インドネシアのコーヒー農園で、香りの良い可憐な白い花がやがて熟し赤い実になるのを見たことがありますが、私の場合は、團氏のようにコーヒーが好きとはいえ、自分のコーヒーの木を植えようと思ったことは当然ありません。コーヒー農園は大変暑い所にあり、かつまた良いコーヒーを作るためには、木に陰を作る役目を持ったシャドーツリーを植えたり、それはそれは手入れが大変だったという印象があるからです。 ただ当時大学生だった私は、團氏を真似してコーヒーミルを買い、豆を挽き、アルコールランプの火でコーヒー作りに挑戦したことがありました。要した時間は約2時間でしたが、一杯のコーヒーを30秒で飲み干した時に、あまりのばかばかしさに気づき、その後は一回もコーヒー作りをしなかったという苦い経験があります。 そして年月を経て、新たに職人芸に惹かれるようになりました。じっくり時間をかけ、磨いた技で作られた作品は、雑貨であれ文具であれ職人の手触りが伝わるようで眼を奪われます。丈夫で長い使用に耐える工業製品とは違い、手作りの品の取り扱いは実際は厄介なものではあります。ゼンマイ仕掛けの柱時計、毎晩酒を飲みながら育てる陶器の酒杯、オーバーホールの必要な自動巻の時計などは、世話をして初めて愛着の湧くものです。この点、友情と全く同じものです。 ![]() |