芭蕉林通信(ブログ)

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2009年08月25日 海を渡って初めての原城へ

熊本から有明海を高速フェリーで渡ると、1時間もかからず長崎県島原地区に着きます。九州各県の中で、熊本県だけが他のすべての県と県境を接しているということを実感できます。
天草・島原の乱の最後の激戦地となった原城は、フェリーの発着場から1時間弱の所にありました。

原城跡は、夏草や兵どもが夢の跡、というほど雑草は茂ってはいませんでした。むしろ、よく整備されている印象です。しかし、随所に戦いの痕跡が残っているのは痛ましい限りです。
数万人の男女が籠城して戦い、死んでいったといったという説明板。戦いの最中に傷つき、死の間際に石に名前を彫って残したという石碑、戦いが済んだ後、徹底的に破壊された石垣などが印象に残りました。
原城は海に面した、守るには安く攻めるには堅いといった要衝の位置にあります。しかし、キリシタンの籠城軍にとっては、攻めてくる幕府軍は数倍の規模であり、多勢に無勢の戦いであったはずです。晩年に細川家に寄留した宮本武蔵も、この戦いに参戦し、籠城軍が投げた石に傷ついたという話が伝わっています。
城跡を散策している時に、海に面した柵の外、雑草の中に三体の小さな石像を発見しました。よく見ると、十字架を前にかざした宣教師と男女の像のようです。その三体が、遠く有明海を見ている姿は、信仰に生きて散っていった籠城軍の人たちを思い出させて、何とも哀れな感じがしました。

2009年08月18日 山鹿灯籠祭りを見学、全国三大盆踊りを体験

8月16日は、地元にいながら初めての山鹿灯籠祭り見学でした。日帰りのツアーに参加して、一路熊本市郊外にある山鹿へ。
千人灯籠の会場である山鹿小学校の校庭には満場の観光客が席を占めていました。

日も落ちる頃、祭りは佳境を迎え、千人の踊り手が頭に和紙でできた灯籠を乗せ入場する頃には、夜風がさわやかに会場を吹き渡りました。光を落とした会場には、一斉に灯籠に灯が灯り、いやが上にも雰囲気が盛り上がります。
会場を埋め尽くす灯籠の光の波は、まるで深海を照らす夜光虫のようで、幻想きわまりないものです。
今回の見学により、富山県八尾の風の盆、秋田県西馬内の盆踊りと日本三大盆踊りを制覇したことになります。それぞれが風土と歴史を秘めたものであり、個性豊かな踊りだったことを思い出しました。
これからも、歴史に彩られた全国の祭りを見ていきたいと感じた一日でした。

2009年08月12日 自然農法の農園を糸島に訪ねました。

知人の紹介で、福岡県糸島にある自然農法の農園を訪問しました。穏やかな田園風景の中に、その農園は広がっていました。私は農業は素人なので詳しいことは分かりませんが、一目見ただけでふつうの水田や畑とは違います。

責任者でリーダーの方の説明を聞きましたが、基本は土地の持っている力を活用すること。そのためには、風通しが良いように努め、刈り取った雑草はそのまま肥料として、敷き詰めるのだそうです。
農薬や肥料を一切使わないので、自ずとナスなどの作物は小振りになるようですが、味はとてもいいそうです。そして、そんな農業の仕方に共感した都会人や若者が集まって来ているという事実が、現代の癒しを求める傾向に合っているとも思いました。
畑の一部は家庭菜園のエリアにもなっており、様々な人の名前が木札に書かれているのは面白い光景でした。農業のベテランよりも素人の若者の方が、すんなりと自然農法に入っていけるという説明も納得できるものでした。
これからは、自分の生き方とあった農業参加というものがあっていいんだと思った一日となりました。そして、農と食は重要なテーマだと改めて思い知らされました。

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