芭蕉林通信(ブログ)

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2009年12月08日 最近の阿蘇の牛事情

阿蘇はなんといっても赤牛が有名です。
しかし、最近は黒牛人気により、阿蘇に黒牛を見かけることが多くなりました。

今から10年ほど前、県の農林水産部で、県内の飼育頭数では黒牛が赤牛を抜いたという話を聞き驚いたことがあります。
小さい時から阿蘇の高原で見慣れていたのは、体が大きくて動きの緩慢な赤牛たちでした。車で赤牛のすぐ横を通ったり、赤牛が放牧された牧場の水飲み場で、赤牛を警戒しながらも子供達と小魚を捕って遊んだ思い出があります。
そうした赤牛を押しのけるように、最近では黒牛が増えたのは、肉質がよく
高値が付くという理由があるからのようです。でも、赤牛を幼なじみとしている私としては、阿蘇に黒牛というのは違和感がぬぐえないのが現実です。
ということで、赤牛を食べる運動に参加しています。まず、赤牛オーナー制度に参加して、赤牛に「五山」という名を付けさせてもらいました。また、直営のレストランでは、赤牛を使ったヘルシーメニューを提供しています。
湯布院の知人の話では、宿泊したお客様に赤牛は草原に育った牛ですと薦めると、大抵のお客様は黒牛ではなく赤牛を注文されるという耳寄りな話も聞きました。
阿蘇の千年草原は人手をかけて守ってきた自然景観です。これからも、草原に赤牛が遊ぶ姿が見られるよう、ささやかな努力を続けていこうと思っています。

2009年10月28日 社員旅行で台湾へ

会社創業140年の記念行事の一環として、社員と一緒に台湾へ旅行をしてきました。

今回は、台北以外に花蓮や九イ分にまで足を伸ばすことができました。
花蓮では、原住民であるアミ族の踊りに巻き込まれた社員が、花婿役を務めたり、竹のダンスに興じたりしました。また、九イ分は宮崎駿さんの「千と千尋の物語」の舞台となった街で、千尋の両親が豚まん(?)を食べたために、豚にさせられたという料理店にも行ってきました。(写真がその料理店全景)
ガイドさんにいろいろと教わりながら見学を続ける内に、台湾の合同出生率が0.96という世界的にも低水準にあるという事実を知りました。成熟した国の証が出生率の低下なのか、はたまた人口政策の不在の故なのか、興味を惹かれる問題です。
古代ローマでも爛熟期には同様の問題が起こり、子供のない人の相続税を100%にしたら、また子供を産み始めたといったことがありました。日本も台湾も、税制を含めた人口回復の政策が必要なのでしょう。
再来年は、台湾は民国建設100年目を迎えます。一体、どのような祝賀行事が予定されているのでしょうか。今年、中国政府が建国60周年を軍事パレードで祝ったような派手なことはできそうにありません。
また、蒋介石氏が台湾では蒋中正と呼ばれていたこととか、4番目の奥さんの宋美麗さんが晩年は米国で100才以上まで生きたことなど歴史の一段面を知り、勉強にもなった社員旅行でした。もちろん、中華料理は最高の味でした。
来月に残りの社員が台湾に行きますと、今年一年に亘って実施してきた創業140年の記念行事がすべて計画通りに実施され、集結を迎えることになります。改めて、多くの方に感謝申し上げます。

2009年10月13日 色彩感覚

今回は、熊本の俳誌「阿蘇」に寄稿したものを転載させていただきます。

 高麗門のJR踏切の横にある花屋さんから声を掛けられたのは、何のきっかけだったか今では思い出せない。しかし、典型的な中年の容姿をもった彼は、ある洋画家の名前を出し、私を紹介したいと言った。その洋画家のアトリエが花岡山の中腹にあるというからには、その花屋さんと洋画家は花屋とその客といった関係だったのかも知れない。
 意外な取り合わせに驚いたものの生来の好奇心が疼き、ある時洋画家のアトリエを訪ねた。中村さんという洋画家の広い敷地にはご自宅の他に、別棟の瀟洒の白い外壁のアトリエと大型犬ブルゾイ二匹を放してある大型の円形柵があり、日本離れした雰囲気にまずは圧倒された。
 中村さんは好々爺然とした老齢の方で、私は初めて接する本物の画家というので緊張しつつも関心しきりだった。その訪問をきっかけに何度かアトリエを訪ねることとなったが、それは中村さんの話が面白かったからに他ならない。気取らない性格の上に、自分の絵への疑問を口にする正直な姿勢に好感が持てたせいもある。
 中村さんは自分の絵に自信を失うと2~3年は筆を置くといったことを、側にいる優しい奥さんが困った顔で話された。プロの画家は絵を買ってもらわなければ生活できないのだ。困った奥さんを前に中村さんは、パリ在住の話をしてくれる。ピカソは異分野の人達、つまり哲学者、詩人、物理学者らと付き合って新しい考えを吸収していったとか、レオナルド・ダビンチのモナリザを上回る絵を描く夢を持っていたとかいう話は特に面白かった。
  そして、写真の現像はフランスでするようアドバイスされた。当地で育った職人は生まれながらに素晴らしい色彩感覚を持っているという。パリの街並みを見ながら生まれ育つのであれば納得できる話である。試しに、私も親しい現像屋さんに色は出さずに材質感を出すよう依頼した。被写体ごとの材質が追求された写真は、まさに中村さんの言う世界となっていた。

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