芭蕉林通信(ブログ)

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2008年01月28日 アイデアは突然に

市川團十郎さんが、NHKの番組で「継続とは創造です」と言われた時、大変に新鮮な感じがしました。マニュアルのない世界での芸の継承は、五感をフルに使った創造的活動なのでしょう。

私にも年に一回は、経営計画などを考えなければならない日が来ます。また、新製品の開発プランに頭を悩ますこともあります。
苦労しても、いいアイデアが出てこない時に思い出すのが「下手な考え、休むに似たり」という言葉です。悲しく寂しい気持ちがします。
しかし、天才的なひらめきは突然に予告なく訪れることがある、と聞いたことがあります。映画「ビューティフル・マインド」では、ノーベル賞を受賞した数学者が芝生の上の鳩を追いながらも、アルゴリズムの理論を考えつきます。かつて、奈良女子大の教授で数学者だった岡潔先生は、床屋で髭を剃っている時に、難題の解決策に突然に気がつき、石鹸で床屋の鏡に数式を書いたと、そのエッセイで読んだ記憶があります。
この現象を我ながら解釈すると、日頃から寝ても覚めても考えに考えている時にのみ、創造の神が突然に降臨するのではないでしょうか。と考えれば、「下手な考え、休むに似たり」ではなく、たとえ下手な考えだとしても、あきらめずに考えに考える。そういった行為の連続が、創造の世界には必要条件としてあるのでしょう。
もっとも、経営計画などは、毎年これといったアイデアが出ないままに決めることが多く、そのたびに会社の幹部・社員に迷惑をかけているのですが・・

2008年01月18日 熊本で見つけた京文化

熊本日々新聞に寄稿し、1月13日の文化欄に掲載されたものです。
ふるさとの歴史発見の一部始終を紹介させていただきます。

 ふーてんの寅さん風に言えば、「オイラは生まれも育ちも新町ようっ」ということになるが、別にいばるほどのものではない。ただ、セイショコさんが作ったお城のすぐ近く、商業の中心地であった所で生まれたというだけである。小さい時の遊び場はもっぱら熊本城内であり、悪ごろの先輩にけんか大会などにひっぱられて迷惑だったことを覚えている。朝は、新町の市場に買い出しに行く大八車のガタゴトという音で目が覚めた。道路に出るとバフンが湯気をたてて、あちこちと落ちていたものだ。
  そうした新町の雰囲気は、市場が田崎町に移ったり九州新幹線の工事が始まったりでずいぶんと変わった。新幹線工事がこれから9年も続くと思うとうんざりするが、踏切がなくなった鹿児島本線を早く見てみたいとも思う。線路をまたいで車を走らせる陸橋群を記憶に残しておきたいとも思う。
  そうした陸橋群の一つが北岡神社の脇にある。いつも見慣れたこの神社は、昔は祇園社と呼ばれており、千年の歴史を持っているということには今までまったく気がつかなかった。そのことを知ったいきさつとはこうである。
 城下町に住んでいると、町にはいろいろの名前がついており、地名がその町の歴史を語っていることに日頃から興味を覚えていた。例えば、新町とは近代になっての名前と思っていたのに、実はセイショコさんの時代の町割りの際名付けられたもので、それじゃセイショコさんの作った安土桃山時代のテクノポリスではないかとか。いつの間にか、地名はその町の歴史や文化のDNA(遺伝子)を宿しているということを信じるようになった。
 その地名を研究している地元のメンバーに連れて行かれたのが花岡山周辺の歴史探訪という訳である。そこで発見したものは何かと言うと、熊本における京文化の名残といったものであった。生まれ育った街の知られざるルーツといったものに初めて触れる興奮を味わったのである。
 遠い昔といっても約1000年前、つまり平安時代には二本木に肥後の国府があり、京都から国司ら役人が赴任して来たらしい。そうした人たちは故郷である京都を懐かしみ、地名を付け神社を造った。今でも、二本木から坪井川に架かる橋を渡り花岡山を眺めると、かつて高い建物がなかった時は、この山が間近に見え大変印象的な山だったろうと想像できる。
 果たして、平安人は花岡山を京都の東山に見立て、京都の祇園社(現八坂神社)の神様に熊本に移っていただき、天元2年(979)に祇園山(現花岡山)に祇園社を建立したのだった。自宅近くにある花岡山がかつて祇園山と呼ばれていたとは露知らなかった。後で調べてみると、熊本・観光文化検定の公式テキストブックにはちゃんと書いてあるというのに。このように、北岡神社の歴史はかくも古く、かつ格式は高いために、境内にある柵の石柱には関西方面からの寄進者の名が大勢書き込まれている。
 そして、北岡神社の目の前、JR鹿児島本線の向かい側の丘にあるのが清水寺。過去には、江戸時代の禅僧として有名な豪潮さんの石塔を見に行ったことはあるが、寺院名にまでは気が回らなかった所だ。さらにその近くには、枕草子を書いた清少納言の父、清原元輔を祭った清原神社。国司として熊本に来て、熊本で天寿を全うしたという思いがけない事実を知り、清少納言を一挙に身近に感じることができた。他に春日寺や長谷寺。いやもう奈良・平安時代のオンパレードではないか。
 そこで歴史のロマンをふと思い描いてみた。かつて熊本には奈良・平安人の「雅(みやび)」の文化が根付いており、その後に加藤清正の「武」、細川家の「文」と続いて来たことを。

 

2007年11月29日 ドイツの教育事情

所変われば品変わるといいますが、教育面でも日本との違いを痛感しました。

先述しましたが、ドイツは連邦制をとっていますので、義務教育ですらも州によって違いがあるようです。例えば、小学校が6年制だったり、5年制だっりします。従って、教科の進み具合には差があり、就学中の子供を持った親が州をまたがって転居するのは難しいようです。その小学校は、朝は7時から11時まで、又は7時半からの場合は11時半までで授業は終わります。子供達は家に帰ってテレビを見る訳でもなく、またゲームをするわけでもなく、サッカーやスケート、野外で遊びに興じるそうです。
そうして通った小学校を6割の子供が卒業できないそうで、落第した子供達は親と話し合って進路を決めますが、専門の職業学校が完備したドイツでは、マイスターになる道が開かれています。
飼い犬も毎日最低2時間の散歩が義務づけられており、ドイツ人は子供と犬の教育では、世界でも超一流との折り紙がつけられていると聞きました。
大学も授業料無料の所が多く、教育環境は独特のものがあります。そういえば、私の親しい友人は子供をドイツの大学に留学させていますが、日本の大学に進学させるよりもかえって安上がりだと言っていました。10月に訪れたハイデルベルグ大学も、ノーベル賞受賞者を多数輩出していますが、旧市街に立地するキャンパスは自然環境に恵まれており、私ももし若ければ一度は行きたかったと思わせる雰囲気でした。

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