芭蕉林通信(ブログ)

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2005年09月26日 熊本郊外SC事情

当地熊本は郊外型SCの新設ラッシュで、その有様が全国放送で取り上げられる程である。その光と陰が明らかになろうとしている。

今年になって県南の拠点都市八代に2店目の大型SCができた。車で5分程度の距離にイオンとイズミの巨艦店が一年の間隔を置かずにできたのである。
そもそも八代市は八代港という県内屈指の貿易港を抱え、セメントや紙などの工業都市として発達してきた歴史がある。最近まで工場の閉鎖縮小などがあり、人口は10万人内外で推移してきた。(最近の市町村合併で14万人に市人口が増加した。)
そのような古い歴史を持った八代には当然ながら、地元の食品SMも数多く出店し競い合ってきた。そうした状況のなかでの大型店2店の出店は、まさに黒船来航の趣で捉えられたに違いない。
また喩えて言えば、小さな池に突然鯨が2匹迷い込んだようなものであり、鯨も餌をとるのに苦労するが今までその池に住んでいた鯉や鮒・ザリガニも大変な目にあっているということだろう。外来種が巨体を利用して勝ち残るのか、在来種が雑草の強さを活かして生き残るのか注目が集まっている。
熊本市内では10月に嘉島のダイヤモンドシティがオープンする。そして、イオングループは熊本空港インター近くの砂土原にも進出を表明した。ここで地元の商工業者の懸念は一挙に吹き出した感がある。というのは、嘉島のSCは御船インターへの幹線道路を渋滞で塞ぐ懸念があり、砂土原は熊本中心部から熊本空港への幹線道路をこれまた渋滞させる危険性を内包しているからである。
特に後者の不安は大きく重大である。なぜかならば、6年後に全線開通する予定の九州新幹線のための街作りを根底から破壊する可能性があるからである。
一つに、上通りや下通りといった熊本の中心商店街の空洞化の懸念がある。二つ目に、熊本駅と熊本空港のアクセスが今でも不安視されているのに、砂土原にSCができた場合渋滞は深刻化し熊本空港の利用に重大な悪影響をもたらす可能性がある。
21世紀は地方の時代になると思われるが、小売業が地域密着産業であるのならば進出する地域との会話なくしては社会的使命を果たしたとは言えないのではないだろうか。消費者側も、便利だから小売店は多ければ多いほどがいいという短絡的な見方ではなく、未来の地域のあるべき姿を描いて議論してほしいと思う。
そうでないと、今のところは郊外SCの陰ばかりが目に付くのが熊本の現実なのである。

2005年08月28日 ボケの五箇条

五箇条のご誓文は明治新政府の基本方針でしたが、今日は視点をぐっと変え、現代社会にマッチした「ボケの五箇条」を紹介します。

先日、地元のさる著名なお医者さんの講演を聴く機会がありました
。50歳代半ばとなり健康保持に苦労している身には目からウロコのような話が多く、即実行に移したものもあります。碩学の話はいつの世も大切なものです。
さて肝心な「ボケの五箇条」は次の通りです。
1.物忘れが激しい
2.物覚えが悪い
3.頑固になる
4.思考力が落ちる
5.視野狭窄になる
ある人が先生に会いに来て、もう一度「ボケの五箇条」を教えてくれと頼んだそうです。話を聞くと「ボケの五箇条」に大変感動したので書いて壁に張ったのはいいが張った場所を忘れたのだそうです。私にとっては、3番目の「頑固になる」が他人に迷惑をかけることになるし、気をつけたいナンバー1です。
今や人生80年という高齢社会にあって、自分にあった生き方を探したいと思う人が増えているのは間違いないことです。食品を扱う仕事をしている立場から、どうすれば社会貢献できるか真剣に考えてみたいと思う今日この頃です。

2005年08月01日 苦手な瞑想

熊本の俳句誌「阿蘇」に寄稿したものを転載させていただきます。
落ち着きのない性格を暴露するようで恥ずかしいのですが・・

 大慈禅寺の門を曲がると緑川の土手はもうすぐである。新緑と風渡る川面を思うと車のアクセルを無意識に踏み込むのはいつもの癖である。
 昨年の今頃だったか、ある暑い日に大慈禅寺の座禅会に参加した。新入社員の頃に一度したきりであったからおよそ30余年ぶりの体験である。煩悩を捨てようと大きな志を持って参加したものの、座禅場の板壁に向かってやっと5分もした頃にはこりゃもう駄目だと悟った。いつも詰まらないことはすぐに悟りを開くことができる。
 考えてみれば日常は情報が嵐のように襲ってくる戦場である。仕事柄新聞を毎日5紙、月刊誌を数冊斜め読みし、時報の合図と共にニュース番組にチャンネルを合わせるという精神的に貧しい生活を強いられている。最近記憶力が低下したと悲しく思っていたが、頭脳には記憶の限界がありその限界を越えた情報はオーバーフローするのだと人から慰められた。しかし、眼鏡を額の上にずらしたまま、眼鏡がないと探す自分を絶対に許すことはできない。
 音楽をシャワーのように浴びるという表現があるが、今の私は情報をシャワーのように浴びて生きている。厄介なのは昨日の新聞が今日にはもう古紙に成り下がるように、仕入れた情報の大半が極めて早く無価値になるということである。まるで砂上の楼閣作り、賽の河原の石積みである。
 我が家で線香一本に火を付け消えるまで座禅に挑戦したこともあるが、どうも時間を長く感じる。そこで線香を半分に折り、やっと火が消えるまで座り通すことができた。つくづく私には瞑想の時間は似合わないと思った。そういえば、私のスケジュール帳はいつも真っ黒である。大切な用事がある訳ではない。空欄があると何とかして埋めたくなるからである。この時間貧乏性から早く卒業したいと祈っている。

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