芭蕉林通信(ブログ)

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2003年05月26日 武蔵ダックレース成功裏に終わる

5月17日土曜日、心配した天気も回復し、熊本城の長塀に集まった観客約3千名の目の前を1万匹のダックがレースを展開。
多くの人の心が一つになった瞬間に感動しました。

3ヶ月に亘って準備した「第一回くまもとの人と水 武蔵ダックレース」は、延べ7百人のボランティアの協力もあり、大成功裏に終了しました。
坪井川の利用許可、国の特別史跡熊本城の利用許可、当日の警備問題、有明海からのカヌーでの挑戦、一万枚のチケットの販売などなど一つ一つが手探り状態でした。でも、今振り返ってみても、故郷くまもとのために元気なイベントを絶対に実現しようという実行委員の気持ちは変わらずに熱かったと思います。
そして、その純な気持ちが多くの支援者を巻き込み、最後にあらゆる問題を解決したと信じています。
しばらくは、仕事にも手が付かなかったという思いはありますが、何か大きなことを為し遂げたという達成感とその過程で出会った多くの素晴らしい仲間にただただ感謝しています。
多くのメーカーや小売業のみなさまのご協力、社内から参加したボランティアの活躍もイベントの成功を陰から力強く支えてくれました。心から、感謝申し上げます。

2003年05月16日 熊本は武家文化

細川治世の270年の間、熊本には武家文化が花開きました。
茶道、能、肥後六花などがその代表です。
一方、町人文化は芽生えずに、今なお庶民が参加する祭りが盛り上がらない理由ともなっています。

熊本が評価される場合よく言われるのは、魅力的な祭りが少ないということでしょう。比較的歴史が短い山鹿千人灯籠などは例外と言えます。
そうした事情の背景には、江戸時代から商業資本の蓄積が乏しく、町人文化が育たなかったということがあります。細川時代は、こうぞ、みつまた、ろうなど現金化し易い作物は、藩の専売制になるなど武士による中央集権体制が確立していたという面があります。細川藩の治世下では、一件の百姓一揆も起こらなかったという事実は、必ずしも善政がしかれていたということではなく、庶民の不満を爆発させない抑制装置がよく整備されていたと考えるべきでしょう。
しかし、今となっては武家文化のDNAが熊本の街として深み、魅力を損なっている気がします。官主導から民間活力の利用という国家的プロジェクトを当地熊本こそ実現しなければならない時代が来たと思っています。

2003年04月09日 北里柴三郎と熊本

優秀な細菌学者であり、血清療法の先駆者「北里柴三郎」博士は、熊本県の北部小国の生まれです。かつて、今では資料館として保存されている生家を訪ね、郷土が生んだ偉人の業績に感嘆した記憶があります。

私たちは郷土のことを十分に知っているかといえば、興味のある僅かなことしか知らないのではないでしょうか。北里柴三郎博士などは、我々熊本県人にとっても遠い記憶でしかないのは残念なことです。
先日、同氏が勉学のスタートを切った現熊本大学構内に、同氏生誕150周年を記念して胸像が建立され序幕式が挙行されました。郷土の偉人を身近に感じられる良い機会を作ってくれたと嬉しく思います。
ところで、来熊された同氏の孫である北里一郎(明治製菓社長)氏の講演を聴く機会があり、大変感銘を受けました。
講演の中でいろいろと記憶に残ったエピソードはあったのですが、特に福沢諭吉さんとの交流は「その時歴史が動いた」のようで興味深く拝聴しました。
その時紹介された福沢諭吉さんの言葉を一つ。
「古事記は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者はこれを世帯の学問に暗き男と言うべし。
故に、世帯も学問なり、帳合も学問なり、時勢を察するもまた学問なり。」
私も理論倒れにならぬようにしなければと、改めて自戒させられた一節でした。
そういえば、世界のトヨタは3現主義を大事にしているとか。現品、現場、現象を当社でも実践したいものです。

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