芭蕉林通信(ブログ)

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2003年05月16日 熊本は武家文化

細川治世の270年の間、熊本には武家文化が花開きました。
茶道、能、肥後六花などがその代表です。
一方、町人文化は芽生えずに、今なお庶民が参加する祭りが盛り上がらない理由ともなっています。

熊本が評価される場合よく言われるのは、魅力的な祭りが少ないということでしょう。比較的歴史が短い山鹿千人灯籠などは例外と言えます。
そうした事情の背景には、江戸時代から商業資本の蓄積が乏しく、町人文化が育たなかったということがあります。細川時代は、こうぞ、みつまた、ろうなど現金化し易い作物は、藩の専売制になるなど武士による中央集権体制が確立していたという面があります。細川藩の治世下では、一件の百姓一揆も起こらなかったという事実は、必ずしも善政がしかれていたということではなく、庶民の不満を爆発させない抑制装置がよく整備されていたと考えるべきでしょう。
しかし、今となっては武家文化のDNAが熊本の街として深み、魅力を損なっている気がします。官主導から民間活力の利用という国家的プロジェクトを当地熊本こそ実現しなければならない時代が来たと思っています。

2003年04月09日 北里柴三郎と熊本

優秀な細菌学者であり、血清療法の先駆者「北里柴三郎」博士は、熊本県の北部小国の生まれです。かつて、今では資料館として保存されている生家を訪ね、郷土が生んだ偉人の業績に感嘆した記憶があります。

私たちは郷土のことを十分に知っているかといえば、興味のある僅かなことしか知らないのではないでしょうか。北里柴三郎博士などは、我々熊本県人にとっても遠い記憶でしかないのは残念なことです。
先日、同氏が勉学のスタートを切った現熊本大学構内に、同氏生誕150周年を記念して胸像が建立され序幕式が挙行されました。郷土の偉人を身近に感じられる良い機会を作ってくれたと嬉しく思います。
ところで、来熊された同氏の孫である北里一郎(明治製菓社長)氏の講演を聴く機会があり、大変感銘を受けました。
講演の中でいろいろと記憶に残ったエピソードはあったのですが、特に福沢諭吉さんとの交流は「その時歴史が動いた」のようで興味深く拝聴しました。
その時紹介された福沢諭吉さんの言葉を一つ。
「古事記は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者はこれを世帯の学問に暗き男と言うべし。
故に、世帯も学問なり、帳合も学問なり、時勢を察するもまた学問なり。」
私も理論倒れにならぬようにしなければと、改めて自戒させられた一節でした。
そういえば、世界のトヨタは3現主義を大事にしているとか。現品、現場、現象を当社でも実践したいものです。

2003年03月11日 観光イベントに挑戦

熊本県の宿泊客は長期低落傾向にあります。観光客誘致は今や地域間競争の渦中にあるといえます。
そこで、一県民として郷土のために観光イベントを企画しました。

 

熊本は、世界一のカルデラを誇る阿蘇山を始め、観光資源は豊富にあると言われ続けてきました。しかし、天然自然のものに、現代風に付加価値をつけるという点では、苦手というしかありません。昔から、「むしゃばつくんな」といって、格好良くする人を馬鹿にするといった体質も邪魔をしたのかも知れません。
そこで、及ばずながら同士と語らって、熊本城の横を流れる坪井川を舞台に、「人と水・坪井川の歴史と文化をひもとく」というテーマで、各種の行事を実施することを計画した次第です。
まず、明治時代まで水運として利用されていた坪井川の水運を復元、次に、宮本武蔵のNHKドラマに呼応した「武蔵ダックレース」、さらには肥後の歴史に関する文化講演会をイベントの核として実施するつもりです。
5月17日の土曜日、新緑の映える川面に、1万匹のアヒルが流れながらレースを展開する光景を今から夢みています。もっとも、多くの人が参加して始めて実現するレースではあるのですが・・

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