芭蕉林通信(ブログ)

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2021年11月17日 鹿児島本線沿いに育って

 祖父母の隠居宅を増築して家族6人が合流したのは私が中学2年の時である。それまでは1階が仕事場、2階が自宅という店舗併用住宅に住んでいたので、さすがに手狭になったのである。新しい住まいは鹿児島本線とは近接した家だったので、引っ越し後のしばらくは列車が通るたびにその騒音と振動に驚かされた。しかし、住めば都というとおり、いつの間にか音と振動にも慣れたのである。

 昨日の朝、冬の冷気を感じながら朝刊を取りにいくと、九州新幹線の列車の音が遠くに聞こえた。500m以上は離れているのでちょっとは驚いた。冬の澄んだ空気と街が未だ目を覚ましていない隙間の時間だったのだろう。そして上記のごとく昔の家の記憶が目覚めたのである。

 新幹線は高架なので長年親しんできた踏切がいくつもなくなり、通行するには便利になった。しかし、人間のサガとして懐かしいものは又忘れ難いものでもある。今となっては、なくなった踏切の佇まいや景色を写真に撮り損なったことが悔やまれる。そして、貨物列車の迫力ある通過シーンがただ一枚の写真として残った。今でも市電や踏切の信号の音にノスタルジアを感じるのは、そうした過去体験があるからだろう。

2021年11月10日 元F1レーサーとの思い出

 今月から日本経済新聞で元F1レーサー中嶋悟さんの私の履歴書が始まった。そこで突然かつて中嶋悟さんに会った時のことを思い出した。大分県の上津江町にある自動車レース場オートポリスを会場に全日本F3000選手権(記憶違いかも)が開催されたのは今から約30年前のこと、その頃は中嶋さんはレーサーを引退し、あるレーシング・チームの監督をされていた。そのチームのスポンサーの一社から誘われて現地に赴いた。私は特別待遇の身であったので、チームのコックピットまで出向き、そこで日本のヒーローである中嶋さんに初めて会ったのである。

 レースが始まるとスーパーカーの出す轟音に度肝を抜かれた。そして、レースを見守る中嶋さんの存在感は抜群で、カメラ小僧が至る所から望遠カメラで中嶋さんを撮影するのである。傍目から見ても、中嶋さんの格好良さは撮影の対象には最適と思った。

 本人は実に気さくな人で、レースが終わってからはレースについていろいろと教えてくれた。その時のこと、突然に数人の記者が押しかけてきて、ホンダがF1から撤退するという報道に対して中嶋さんにコメントを求めたのである。そしてその時の中嶋さんと私のツーショットが翌日のスポーツ新聞に掲載された。表題は「中嶋さんがホンダに喝」といったものだった。なんと私はホンダ社員に間違われるという光栄に浴したのである。ただその時の新聞記事が今見当たらないのが残念である。

2021年11月01日 古本市の掘り出し物

 毎年恒例の古本市が地元百貨店の催事場で開催されたので、面白い本はないかと寄ってみた。過去には小村雪岱が挿絵を描いた「おせん」などが売りに出されていたので、少しは期待しての掘り出し物探しである。とはいえ、最近は珍しい本もネットで簡単に購入できるので、昔ほどの賑わいはなく売り場も年々縮小気味である。

 街の行きつけの古書店が2軒出店しているので、まずはそこの奥さんに挨拶してから古本との格闘を開始した。仮設の棚に雑然と並べられた本や古い資料から欲しいものを探すのは結構疲れる作業である。しかし、お客さんの中には一つの棚にへばりついて一冊一冊熱心に探索している人がいて横目に見ながら感心する。私はと言えば、ある一定のスピードで棚の本を右から左へ、左から右へと視線を流すばかりでほとんどの棚をパスしていく。

 そうした中で見つけ出した一冊が新聞の切抜き帖である。それは夏目漱石が熊本滞在中に作った俳句を坪内捻典さんが一句一句解説した記事であり、それら200枚を貼付けたものである。私自身が下手な俳句を作ること、夏目漱石に関心があること、そして自分でも美術関係記事を切り抜いていることから俄然興味が湧いた。価格は1650円だったが、作成にかかったであろう約1年という月日と労力を考えれば、私にとってはまさに掘り出し物の一冊となったのである。

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