芭蕉林通信(ブログ)

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2021年09月08日 喪失感

 近くの八百屋さんが廃業したのは2年前。スーパーマーケットやコンビニエンスストア全盛の時代にあって貴重な対面販売の店を愛おしく思っていたが、廃業と聞き刀折れ矢が尽きたかと残念に思った。7年前には日頃から利用していたタクシー会社が大手に吸収合併され営業停止した。どうやら営業車両削減のための買収劇だったようで、利用者のみが不便を被った形になり割り切れない思いに襲われた。

 そして又、立て続けのサービス停止の案内である。一つは、熊本日々新聞の夕刊が10月末で休刊になるという。説明によれば最盛期14万部の発行部数が最近では2万部台とかで、今後はネット配信に力を入れるというが言い訳に過ぎない。要は夕刊の採算が合わなくなったということだろう。二つめは、これまた近くにある肥後銀行の支店閉鎖である。業務が統合される近隣の支店までの距離はおよそ2km、歩いて行くとしたら不便極まりない。これまたネットバンキングの発達により窓口業務のお客様が減ったということでがあろうが。

 かくして高齢化社会において弱者はますます不便を強いられる。私などは周りの若い人にサポートされながらかろうじて、デジタルやネットなどの新しい技術について行っているに過ぎない。国のリーダーは国民に自己責任を求める割には、政府自らがその責任を十全に果たしているとは言い難い。喪失感を与える社会は、選択肢を狭めるという点で貧しい社会と言える。

2021年08月23日 いま、想えば・・

 新型コロナの感染拡大によって、会いたい人に会えず行きたい所に行けなくなった。それでも東京の友人はワクチン接種が終わり重症化しないと思い、闇営業している飲み屋で一杯したと言っていた。そして「お酒あります」と張り紙を出して営業している店は熊本の繁華街でも多いようなのである。自粛要請に対する考え方は千差万別、これでは感染拡大の防止は難しいと言わざるを得まい。

 そして今想うことは、出来ることは出来る内にした方がいいということである。世界各地で渡航制限がなされている今、一番難しいのが海外旅行ではないだろうか。タイでの赴任が終え帰国したビジネスマンは、空港近くのホテルで三日間待機させられた上でPCR検査。陰性であっても実家のある都市ホテルでさらに2週間の自主隔離をさせられている。

 そこで日々巣ごもりしながら思い出すのが、今までに訪ねた世界各地の都市、自然景観、さらにはそこで触れた歴史や文化などである。あの時に面倒くさがらずによくぞ遠く海外まで足を延ばしたと自画自賛しては、コロナの憂さ晴らしをしている。そして今一番可哀想なのは、せっかく入学した大学でキャンパスライフを楽しめない学生、恋人と楽しい語らいができない若者らだと思うと何か切なくなる。政治・行政はワクチン政策をもっとしっかりしろと国民が思うのは当然な話である。

2021年08月16日 無聊(ぶりょう)を友とし

 無聊と言えば、礼記の一節「小人閑居して不善をなす」を思い出す。私など欲の固まりの人間は、日々忙しくしている方が周りに迷惑を掛けないでいいよと言うことだろう。とはいえ、新型コロナの爆発的な感染拡大や秋雨全線による長雨により外出もままならず、その内に外出自体が億劫になった。不善をなすにもその機会がないというのが現状である。

 そうなると休日は家に居て「なんばしょうかねー」と悩みは深くなる。たまたま家人が手を怪我したので、食器洗いは手伝うにしても時間的にはたかが知れている。後はお決まりの読書、録画したテレビ番組の視聴、締め切りの迫った俳句作り、居間でのパット練習ぐらいしかない。長雨のおかげで庭の水やりも不要になった。

 今月の句会の兼題(テーマ)の一つは秋団扇あるいは捨団扇だが、まさに私自身が出番をなくした捨団扇状態なのには笑ってしまう。笑って誤摩化しても、目の前には無聊な膨大な時間の層が体積していることに変わりはなく、ただ困惑するばかりである。せめてアウトドアスポーツのできる日が早く来てほしい。

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