芭蕉林通信(ブログ)

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2020年11月04日 砂漠の砂・砂漠の石

 日本には鳥取に有名な砂丘があるが残念ながら砂漠というものがない。それだけに、エジプトのナイル川両岸に広がる殺伐とした砂漠やそこに点在するピラミッド群を見た時は感動した。同様に、シルクロードの玄関口に当たる敦煌郊外の砂漠・鳴沙山を足を埋めながら歩いた時にも強い感慨に襲われた。青年時代に読んだ井上靖の小説「敦煌」「楼蘭」の舞台であったせいもあるだろう。

 そんな感慨があり又旅の記念にもなると思って、エジプトのサハラ砂漠や敦煌のゴビ砂漠では砂をペットボトルに入れて持ち帰った。日本に帰って見比べると歴然とした違いがあることに驚いた。粒子の大きさ、さらさら度、色艶が明らかに違う。サハラ砂漠の砂は均一で粒子が小さく赤みを帯びているのに対し、ゴビ砂漠の砂は粒子がやや大きく黒と茶が混じっている。大地の形成方法や自然環境が違うのだから、砂の形質が異なるのは当たり前なのかもしれない。世の中では現物を見て初めて気づくということがしばしば起こるが、砂漠の砂もまさにそうだった。

 エジプトの階段ピラミッド近くで拾った石、敦煌で集めた石も感じがまったく違う。前者は角がとれ丸みを帯び、後者は風化した痕跡が小さい筋として幾重にも残っている。石を手のひらに乗せて感触を楽しみ、時には虫眼鏡で観察しながら砂漠のロマンに浸る時間を大切にしている。さてこうして書いて来ると、庭で拾った石を手のひらに乗せて一日中眺めて飽きなかったという画家・熊谷守一に、私もいつの間にか似てきたのかも知れない。(写真の右の3個の石はエジプトで、左の3個は敦煌で拾った石)

2020年10月27日 セザンヌのリンゴ

 南仏のエクサンプロバンスを訪問先に選んだのは、セザンヌの足跡を辿りたかったからである。絵のモチーフとして再三登場するセントビクトール山の近くに位置するセザンヌのアトリエは完全予約制で、我々グループの後からこっそり入ろうとした二人の旅行者は見事に入室を拒絶されていた。

 画家のアトリエは普通の家とは全く違う。天井は高く、窓は広く、光線を調節できるようにカーテンが巧妙に配置されており、対象物に光と影がうまくできるように設計されている。これは久留米に残されている坂本繁二郎のアトリエにも共通するもので、画家は光線と光線が作る闇からカタチを得るのである。

 セザンヌのアトリエを訪問した人の共通の不満は撮影禁止ということであった。アトリエには天子像や枯れたリンゴ、どくろの他に、セザンヌが写生散歩した時の道具や上着なども残されており、セザンヌファンとしてはたまらないのである。写真を撮れない不満解消に買ったのが、写真にある陶製のリンゴと西洋なしである。「セザンヌのリンゴ」と勝手に解釈して、秋になると机に上に出してはうっとりと眺めている。

2020年10月20日 秋のMY徳利、MY盃

 猛暑の夏が終わってやれやれと思っていたら、突然の朝晩の冷え込みに身体が付いていかない。インフルエンザの早めの接種、マスクの着用と例年にない用心深さだが、喉が少しイガイガするだけで緊張してしまう。それでも秋の気配を楽しもうという気持ちが湧いてくるのは、四季に恵まれた日本人の感覚だ。

 巣ごもり期間が長くなって外食機会が減り、毎晩の家での晩酌が楽しみになっている。猛暑には冷えたビールが何よりだが、秋には日本酒を熱燗にしていただくと身も心も暖まるのが嬉しい。そこで取り出しのが、秋の模様が美しい徳利と盃だ。それらを根来盆に載せて、器の景色を鑑賞しながら呑む一杯が歯に沁みる。それらの器の由来を思い出すひと時でもある。

 徳利は秋の風情と言ってよく、楓と女郎花(おみなえし)が描かれた古九谷であるが、出会った時は口部分が破損し欠落していた。哀れと思い、頼んで補修していただいたら素人目に分らないほど見事に蘇って帰ってきた。盃の一つは吉田屋の蟹柄のもの。秋の蟹が美味しい季節なので、蟹を一緒に賞味する気で呑んでいる。奥にある金接ぎした盃はデルフトで、酒席に呼ばれて持参した際に、私の不注意で大きく割れその後直してもらったもの。物一つ一つに秘められた物語こそが酒の味を深めてくれる気がしている。

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