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新型コロナ肺炎の猛威は中国武漢から瞬く間に世界に飛び火した。この2ヶ月私が朝起きて一番にすることは、日経デジタルで世界のコロナの感染状況をチェックすることだ。各国の感染者数が世界地図上に赤い丸の大小で示される。また付随するグラフでは感染者や死者の数を時系列に見ることができる。すぐに気づくのは、各国のリーダーの判断と初期動作による感染スピードの差だ。ロシアのプーチン大統領は1ヶ月前コロナは完全にコントロールされていると発言、ブラジルのボルソナーロ大統領に至ってはコロナは風邪と同じで対策は必要なしと宣(のたま)わった。アメリカはトランプ大統領の強気の発言とは裏腹に感染者は爆発的に増えた。今や感染者数でアメリカは世界1位、ロシアは世界2位である。 対して日本は感染者の抑え込みに成功しつつある(ように見える)。今後の問題は自粛措置を緩めた時から始まる感染の二波への警戒であり不安だ。それにしても、今回のコロナ騒動は日本文化の特殊性を教えてくれた。まず日本人の清潔好き、家に入る時の靴を脱ぐ習慣、握手やハグ・キスなど肌を接する挨拶儀礼がないこと、マスクを厭わない性癖、家族での集団会食の機会が少ないことなどが思い浮かぶ。上下水道が整備され手洗いなどが容易にできるインフラもある。発展途上国の国民や難民の中には手を洗う水さへない人が多い。さらに言えば、日本政府が頼りないので国民一人一人が自らの命を守るために慎重に行動をしている可能性がある。日本政府はPCR検査すらまともにできない状況を放置したまま出口戦略を模索しているが、不安を抱えたままの国民の安心なくして経済活動が元どおりになるなど勘違いしてもらっては困る。 企業経営へのコロナの影響は業種や事業構造によりまだら模様だ。報道によって初めて個別企業の深刻さを知ることが多い。コロナによる影響の第1波は運不運に属するが、第2波はコロナへの対応力によって差が出ることになる。そして年度後半から来年にかけては、世界が出口戦略を模索する中で企業が新たな世界に適応できるかによって命運が決まる。第二次世界大戦時海軍の飛行教官だった父が言っていたことだが、空母から飛行機を飛び立たさせるために空母は向かい風を受けて全速力を出すそうだ。あえて逆風に向かってこそ短い滑走路から離陸できる。「逆風に立つ」とは逆風だからこそやるべきことがある、やれることがあるいう意味があるのだ。
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相変わらず安倍政権のコロナ対策の評判が良くない。聞こえてくるのは政権内部の不協和音であり、メンバー一丸となった危機管理内閣となりえないのでは対策の実効性に疑問符がつくのは当然だ。個人的に不安なのは、万一コロナに感染した場合に即座にPCR検査してくれるのか、陽性化した場合に入院できるのか、重症化した場合に集中治療室に入りアビガンなど実効性のある薬で治療してもらえるかなどである。そして5月半ばになっても政府はなお頼りないのである。 ましてや休業要請をされて仕事のできない企業や店舗、一時自宅待機をさせられている従業員、雇い止めにあった人達、アルバイトができずに学費を払えない学生、コロナ最前戦で働く医療や介護の現場の人達は、自分自身の健康不安に加え生活の不安さへあるのだ。世界中を見渡せば、コロナ対策の成功事例を数多く見る事ができるのに、いまなお続く日本のもたつきぶりを見るにつけ、これは日本人の歴史や体質に関わる構造的問題かと疑ってしまうのである。 そんな中一服の清涼剤となってくれたのが一枚の手作りマスクである。私の姓と関係があると言うことで、カメのデザインされたマスクをプレゼントされた。偶然にも、机の上に飾っていた緑カメの一匹がマスクから歩き出て来たように見えたのには思わず笑ってしまった。もちろんこのマスクを使うにはもったいなく、いずれコロナを克服できた日が来たならば、その記念に額装して保存しようかと思っている。
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今年の5月の連休はゴールデンウイークと言うよりはコロナ連休と呼ぶのがふさわしい。私はといえば、基本ステイホームをしつつ近くの里山を一人で散歩したり裏山をサイクリングしたりして体力の温存を図った。時には街角ウォチンングをすべく、中心市街地に自転車で乗り込んだ。熊本の中心商店街である、上通りや下通り、あるいは通町では閉鎖店舗が多く、人通りが激減しているのが目に見えて分かった。経営が苦しい中でも命を守ろうとする努力には敬意を表わすに値する。 今ベストセラーとなっている脳科学者中野信子さんの「空気を読む脳」の一節に、「日本人は地理的環境のせいか、世界的に見ると集団があまり流動的でなく、集団の結束を個人の意思より優先することを美徳とする傾向があります。」とある。世界ではコロナ対策のために、私権制限も辞さずに外出規制を実施している国が多数あるが、こうした国では個人の自由を美徳とする国民が多いのではないか。もっとも日本では、個人の勝手な動きは許さないという行き過ぎた集団心理が働く恐れは排除できない。 さらに思うのは日本には村落共同体の歴史があったということである。「絆」とか「結」とか呼ぶのは集団的互助組織であり生活を守る知恵である。昔は、万が一村落の和を乱せば村八分の身になった(だから変革を起こしにくいという面がある)。民俗学者の宮本常一氏の本に、村の問題を解決するのために村の主だった人が集まり二日二晩に亘って話し合う場面がある。全員の総意を得て問題を解決する、反対者でも最後は勝手な動きは許されない。個人の自由を束縛するという問題はあるにはあるが、コロナに打ち勝つためには今しばらくは我慢が必要なのだろう。自由の精神を忘れないままで。
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