芭蕉林通信(ブログ)

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2020年04月24日 探し物の見つけ方

物忘れがひどくなった今、掃除や整理をさぼったりすると途端に探し物が多くなる。特に緊急を要する物や大事な物が見つからずに焦ったことは再三である。だが最近は何かがなくなっても気にしないように努めている。 理由は探してもないものはないと達観したこと、いずれどこからか自然に出てくるだろうと楽観するようになったからである。

 今朝は、爪切り、銀行から下ろした現金、万年筆ケースなどが行方不明になった。結局爪切りは机の引き出しの奥から出てきた。現金は読もうとした本のページに挟んであった。万年筆ケースは出勤カバンの奥に納まっていた。

最近一番感激したのは、YouTubeを見ていた時、ずっと探していた歌が奇跡的に現れたことである。歌の日本語名は「愛はかげろうのように」。原題は「I’ve Never Been To Me」。この歌も無理に探さないで自然に見つかったものの一つだ。しかし今世界中の人が必死に探しているものがある。それが新型肺炎の治療法であり、新型肺炎のワクチンである。こればかりは見つからないままのんびり待つ訳には絶対にいかない人類の探し物と言える。

2020年04月15日 野戦病院の思想

 韓国のコロナ対策が世界の賞賛を浴びている。楽観的な言動に終始し国民の信頼を失いつつある日本政府とはえらい違いだ。最近の報道では、WHOが韓国のコロナ対策を評価し、ムン大統領に講演してくれるように要請したとの報道があった。韓国の民族としての特異性は日本が嫌うところだが、ことコロナ対策の早さは注目に価する。

 国力や経済規模においては日本が韓国の優位に立っているが、個別にみると日本が韓国に劣後している分野が出てきている。サムスンの躍進などはまさにそうだ。また現今のコロナ対策においてもしかりである。なぜこういう状況になったのか考えていている時に、ふと韓国の強さの一つを思いついた。それは韓国には野戦病院の思想があるのではないかということである。

 野戦病院とは戦時下において傷ついた兵士を治療するために、戦場近くに開設する病院のことである。北朝鮮との有事に備えて徴兵制を敷く韓国は、いざという時の臨戦態勢を整えているように思われる。ドライブスルー方式や隔離型のPCR検査により日本とは比較できないほど検査数を一挙に増やした。それに比べて、平和ボケした日本の政府や官僚が、前例主義、手続き主義、既得権益の擁護に終始しているように見えるのは錯覚かあるいは私の目がかすんだせいかよく分からない。

2020年04月13日 刻字を調べる

 少し印鑑を集めている。その中には西安の印鑑屋に刻してもらった蔵書印や敦煌の夜店で買った木印などがある。最近見つけたのが鶏血の小さな小さな印鑑。鶏血とは鮮血が混じったような印材であり、珍しいものと言って良い。そういえば、北京で鶏血と称する印材を購入し日本で馴染みの古美術商に見せたら、まっかな偽物と言われて慌てたことがあった。素人には印材の真贋は難しいと思わされた事件だった。

 その鶏血の印鑑であるが、「箸句難 上但自娯」と刻字がある。そこで中国から日本に帰化した同僚に相談すると、宋の詩人・陸游の漢詩のようだと調べてくれた。その漢詩の全文を意訳すると次の通りである。 「初夏」 淡い靄(もや)と霧の出る夏の初め、窓を開ければ新緑の中で鳥たちはさかんに囀(さえず)っている。 外に出て疲れて帰りいつもように家で横になり、食べ物もなく箸を持つことも叶わないが、一人で畑を耕しては娯(たの)しんでいる。 花を飛び回る蝶はさかんに花の蕊(しべ)を落とし、人の姿が消えた酒屋にはただ壺が残るのみである。 福建産の特選のお茶を朝早くから飲むと、肺が潤い、良い気持ちが長く続くのである。

 この漢詩の内、刻字に該当するのが漢詩の二節の後半部分「食べ物もなく箸を持つことも叶わないが、一人で畑を耕しては娯しんでいる」である。かくして小さな印鑑から大きな宇宙が広がった。

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