2025年04月28日 ミサゴの目・蟻の目
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今回は幸が江戸に店を出すにあたって、元番頭の治兵衛(舘ひろしの演技にも味がある)がアドバイスする場面があった。それは「ミサゴの目と蟻の目を持ちなされ」と言う場面だ。へえ、あのミサゴがここで出てきたかと感心した。ミサゴを先に調べていただけに、すぐさま話に入って行けて嬉しかった。治兵衛の言葉は今風に言えば、ビジネスには大局観と現場感覚が重要だと言うことだろう。商いの道にはいつも変わらない大事なことがあると改めて感じた。 |
2025年04月14日 汝自身を知れ
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自分の顔を自分では見ることはできない、鏡に映った顔も左右が逆だという話があるが、姿形にしても立ち居振る舞いにしても、自分を自分で知ることは難しい。日頃はそのことに気づかずに、自分なりに良かれと思って発言したり、行動したりしているに過ぎない。もっともそのことに自分で気づけば恥ずかしくなってかえって緊張するだけだ。だからかも知れないが、私の場合は映像に映った自分自身を見ることは耐えられない。 その点面白いのはスポーツする時に、自分のプレイ振りを動画で撮ってそれを自ら見ることだ。頭で描いてプレイしている姿と動画の中の現実の違いに驚かされる。そして改善点が手に取るように分かるのである。そういえば、大谷翔平選手はいつも自分のデータを確認しながら技術の向上を目指している。よって凡人の私も、恥ずかしがらずにもっと自分自身と対峙しなければならないと思う。 |
2025年04月07日 美女をはべらして宴会を
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そこでくだんの部長にそのような時にはどのように言えば良いか尋ねた。答えは「女子社員と意見交換会をする」だった。不埒なことを承知で言えば、楽しみにした飲み会が超実務的な会合に衣更えした気分になった。団塊の世代の終わりごろに生まれた身には味気ない世の中になったと嘆くばかりだが、これが時代の流れというものだろう。 その点、自然はそのままで自分に対峙してくれる。おもねることも批判することもない。自然は「自ずから然り」なのだ。ということもあり休日は自宅の庭仕事をすることが多い。この日曜日は石庭の砂の波紋を念入りに引き直した。さらに長さ1cmに満たない雑草を根から数多く掘り起こして抜いた。その時ふと見上げて気づいたのが、石斛(せっこく)の白い花だ。水やりはしていたが、もうだめかと諦めかけていた石斛に可憐な花が咲いていたのには驚き感激した。あるがままにそして自然のサイクルの中に身を置き、これからも心身ともに健康に過ごしていきたい。 |