芭蕉林通信(ブログ)

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2026年01月26日 天草コレジヨ館

 安土桃山時代、4人の日本の少年が天正遣欧使節団として当時のキリスト教盛んなヨーロッパを旅したことはよく知られた話である。最近ではその少年の一人、伊東マンショの見事な出来栄えの肖像画が偶然発見され、関西万博のイタリア館で披露され話題になったばかりである。  

 とはいえ、4人の少年の生涯を知る人は私を含めそう多くいるわけではない。という訳でこの週末は天草にその足跡を辿ろうとガイド付きのツアーに参加した。集合場所の下田温泉でガイドさんと合流。その後、崎津教会、天草コレジヨ館、天草氏の旧居城(今は寺に)などを巡回した。

 長年熊本に住み、何度も天草には行っているのに意外と郷土史は知らないものである。豊臣秀吉時代には、天草五人衆として天草氏、志岐氏、大矢野氏、栖本氏、上津浦氏がいたこと、ヨーロッパから帰国した4人の少年は天草コレジヨで司祭になるための勉強を続けたこと、コレジヨには当時としては画期的はグーテンベルク印刷機があり、イソップ物語など西洋のものだけでなく、平家物語など日本の著名な作品も発行されたなどはまさに目からうろこだった。これらの歴史を多くの人に知ってもらいたいと思う一方で、専門的過ぎて一般の人にはとっつきにくいのでないかと心配にもなった。

2026年01月13日 他者との関係

 この週末、熊本県立美術館分館で開催されていた第79回熊日学童スケッチ展を観てきた。本当は他の会場の九州モダンアート展に出品されている知り合いの作品を観るのが目的だった。そのついでに学童スケッチ展に足を伸ばしたという訳である。

 現代アートにとんでもない高値がつく現代、私にとってその真価を見極めるのは難しい。好きか嫌いかならば良いのだが、その価値を判断するなど到底できない。一方、学童の絵には難しい思想の痕跡など微塵もなく、ただ純粋な感受性だけが感じられて好ましかった。と同時に絵を描く上級生のテクニックには驚きを禁じ得なかった。

 会場で一つ気づいたことがあった。それは小学4年生まではその作品の大半が人物か動物を描いているのに対して、小学5年生より上になると大半の作品が静物か風景の絵になり、人物や動物の姿が忽然と姿を消すのである。これは学校側の指導によるものなのか、学年が上がるに伴い子供らの人や動物に対する関心がなくなるからなのかとても気になった。というのも他者との関係性を良きものにすることが人間社会では大切だからである。若い時から孤独になって欲しくはないと思った。

2026年01月07日 根こそぎ

 年末の大掃除では主に庭の雑草取りに時間を費やした。庭の手入れは一種の空間芸術に似ており、しかも植物は生物でもあるので愛情が欠かせない。その愛情を持ちながらも申し訳ない気持ちで雑草を抜くのである。もちろん庭仕事には失敗はつきもので、年末購入したシクラメン3鉢は液体肥料を薄めないまま施した結果全滅させた。

 雑草取りにコツがあるかどうか知らないが、植えている植物ができるだけ重ならないように不要なものを除去するよう心掛けている。作業しながらも視点を変えるために、遠く離れて確認したりと意外と繊細な作業を強いられる。もっとも昭和天皇か牧野富三郎博士が「世の中に雑草という植物などない」と言われたことを思い出しながらではあるのだが。

 今回発見したのは雑草と目したカタバミの根の深さだ。再生力の強いカタバミは地面に出ている葉を取っただけではすぐにまた葉を再生させる。従って深く土を掘り根こそぎ除去するのだが、その根の立派さに「天晴れ」と思った。織田信長は宿敵を亡ぼすにあたり、「根絶やしにしろ」と命じたのは二度と子孫係累が再生しないようにとした訳である。そのことをカタバミの根を見ながらなるほどと納得した。「根こそぎ」と「臭いものにふた」とは対極にある考えだ。

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