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挑戦しない限り成功も失敗もない、と言われればその通りだと思う。来し方振り返ってみても、事業面では随分と失敗と成功を繰り返して来た。数では言えば失敗の数が多いような気もする。日経の朝刊を読んでいると、ワコールの塚田社長が創業70周年の広告の中で、フローズンヨーグルトやその他の新規事業で失敗したおかげで本業の大切さに目覚めたと語っていた。経営者や起業者にとっては、新規事業への挑戦とその失敗は必ず経験しなければならない通過儀礼のようなものだろう。 さて経験と言えば、哲学者森有正の「遥かなるノートルダム」と読んでいて、森氏がさかんに経験こそが人生そのものだといった類いの主張をしていることに驚かされた。経験という言葉との私の出会いは、大学受験の際、「体験と経験の違いを記述せよ」との出題があった時からだが、経験ということが仕事をする上で大切なのは一応正しいと言っておこう。一応と付けたのは、経験がこだわりとなると新しい発想や行動を制約することがあるからだ。素人 的発想を奨励するのはこういう時に起こる。しかしなお、豊かな経験を積むことは大切であることは論を待たない。しかも成功と失敗の両方の経験から学ぶことが望ましいのである。 ところが昨日、89歳になった母と話をしていて愕然とした。母は最近は夢と現実の境を行ったり来たりしているのだが、昨日は一人で奈良にまで行って来たと真顔で言うのである。奈良では昔住んでいた家に行き懐かしかったが、誰にも会わなかっと言う。さらに母は、その街までどういう手段で行ったか全く分からないと言うのだ。 母が誰にも会わなかったというのは、ただ単に昔会っていた人達を忘れているからなのである。過去に会った人の名前が記憶から完全に消し去られている。そうだ、記憶がなければ経験にはならないのだ。
冒頭から経験が重要だと言ってきたが、それは記憶として残っているからこそ経験と言えるのであり、記憶に留まっていなければ経験とは言えないのである。気がつかない内に貴重な経験を随分と失っているのが普通の人間である。そして経験に基づき賢明は仕事をするには、一定の記憶力が必要であると思い至った。
経験と記憶は賢明にかつ平和に生きる要件なのだ。
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立松和平の「晩年」という本は読んでいて面白かった。人生で出会った人との別れが情感たっぷりに、あるいは愛惜を込めて書かれていた。私自身も、晩年になりもし不治の病を宣告されたならばどう受け取めるのだろうかと考える年齢になった。頑張って厳しい治療に挑戦するのか、あるいは生活の質(クオリティ・ライフ)を選択し、治療を避け静かな日常を選ぶのかはその時になってみないと分からない。 生活の質というものがあるのならば、仕事の質というものもあるのではないかと思い、次の三か条を思いついた。
1 社会的意義がある
2 自分の能力を発揮できる
3 良い仲間や相手先に恵まれる その仕事に社会的意義があれば、何もやましいことはなく、堂々と仕事に挑戦できる。また、成果を出し社会を豊かにできれば、やりがいにもつながる。
自分の能力を発揮するという点では、身近にいろんな事例を見ることができる。最近聞いた話では、有名大学を出た女性が就職した大手会社を辞めて、太極拳のスクールを開設したという。この女性にように自分の好きなことを職業にするほど楽しいことはないだろう。
良い仲間や相手先に恵まれるという点では、論語の「修身、斉家、治国、平天下」を思い出す。まずは自分を確立させ、そして家族に恵まれて初めて社会活動が円滑にできるということだろう。別に国家や天下を担うばかりが立派な訳ではない。仮に一庶民だとしても、自分の仕事を支えてくれる家族や友人に恵まれるのは嬉しいことだし幸せだ。
年齢を加えてくると、自分は生きているのではなく生かされているという感覚に変わってくる。晩年もそう捨てたものではないと思いたい。昨晩のテレビでは、「私は老いたのではない、熟したのだ。」という言葉が紹介されていた。甘みを出す熟し柿のように、これからも仕事の質、生活の質を追求して行きたい。
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法事に使うための写真を探して古いアルバムをめくっていたら懐かしい写真を発見した。13歳ぐらいの私が亀井商店の店頭で親戚の子とチャンバラごっこをしている写真である。私は拾ってきたのであろう棒切れを大上段に構えて格好を付けているが、その傍らにいるおかっぱ頭の妹二人はチャンバラごっこに全く無関心なのがおかしい。 店頭にある品物は藁俵(わらだわら)や木樽、木箱などだが、今から約55年前、昭和35年頃の食品問屋の店頭が結構乱雑だったのに驚く。当時は二階が6人家族の住居だったので、今で言う住居併設店舗であり、自然と遊び場は仕事場と重なっていたのである。 ときどき従業員からは、商品の上に乗ってはだめだと怒られたりしていたが今となってはしごく当たり前のことである。しかし当時は何にしてもおおらかだった。腹が減っては店頭に並んでいたスルメの足を1〜2本くすねて食べたりしていたのである。その頃目覚めるのは、早朝店の前を通る大八車の車輪の音を聞くからであり、家を出ると馬車を曳かされた来た馬の馬糞が湯気を立てて落ちていたりした。子供のけんかが佳境に入ると、馬糞を投げつける輩(やから)も登場するのであった。もっとも、馬糞の常として、馬糞は敵に到達する前に空中分解するのであるが。
(以上の話は確かな記憶であるが、この写真にはトラックの荷台が写っていることから類推すると、私の大八車や馬糞の記憶はさらに5〜6年ほどは遡るのかも知れない。) 日々の変化は見逃し易いと言うが、こうした写真を見ると変化は歴然である。変化の先には何があるのか知るためにも、過去を振り返る時が必要だを思う。
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