芭蕉林通信(ブログ)

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2016年09月06日 バンコックの土産話

 久しぶりのタイには夕方4時頃に到着した。すぐにバスでバンコック中心地にあるホテルに向かう。今は雨季ということで空はどんよりし厚い雲で覆われている。最初に受けた洗礼がバンコックの有名な車の渋滞だ。ガイドさんによると、今年になってバンコックが道路の渋滞で世界ワーストワンになっということで先がおもいやられる。そして案の定三日の滞在中、まさに渋滞との戦いに終始することになった。 

いくつか気になった点があった。一つはテロへの不安である。さすがに空港に着いてしばらくは空港周辺をキョロキョロし不審者がいないか気になった。次に軍事政権による国政の安定度である。軍政への移管前に頻繁に起こった、国論を二分するような激しいデモは今や影を潜めている。3番目が国民の尊敬を集める国王の健康状態。すでに国王と王妃は加齢により長期入院中であった。

 バンコックは広い平野が極端なほどの低地のため、2011年の大水害で日本を含む多くの企業が洪水の被害にあっている。今回は水産加工品を全量日本へ輸出している合弁企業を訪問した。驚いたのは、作業員の9割がミャンマーからの出稼ぎ労働者であり、最低日給が300バーツ(日本円換算で約900円強)という点である。現時点では、むしろ中国よりも人件費が割安になっていないかという疑問が起こった。

バスで街を通り抜ける度に見かけたのが多種多様な屋台である。決して清潔とは言い難い屋台が多く、ガイドからは屋台で食べる事を厳に戒められた。ということで、皆で食事をした後は何もすることがなく、ホテルの部屋で時間をつぶした。おかげで滞在中に6枚のスケッチと3句ほどの俳句ができたのはタイに行った甲斐があったというものである。

 今回は団体旅行のために、トム・シンプソン宅や骨董街に行けなかったのは残念だったが、象に初乗りすることができたのは良い思い出となった。  

象使い足裏白き残暑かな

2016年08月30日 物に執する

 身近な物を絵に描き初めて、今月には二冊目のスケッチブックに突入した。下手な絵を人に披露すると、大概の人からは自分は絵を描けないと返事が返ってくる。しかし誰にでも幼稚園や小・中学校時代には図工の時間があり絵を描いたり工作をしたりしたはずだから、大人になってからは絵を描いたことがないというのが正確な返事と言えるだろう。つまり、誰にでも絵を描く潜在能力はあるのである。  

今日の絵は木製のオルゴールを描いたものである。曲はSpinnig Reel が入っている。木馬の一つには乗り手がもういない。廃品すれすれの品物だが、少し手入れをしたら曲が流れ木馬が回転するようになった。このオルゴールを手に入れるまでの忘れ難い体験がある。

 あれは、かつて勤めていた銀行の調査部時代のこと、自身初めての海外出張をした時のことである。調査テーマは「アメリカにおける日本企業の不動産投資」であり、西海岸は大手会社の幹部と同行、東海岸は単身出張となった。ロサンゼルスからニューヨーク行きの飛行機の中で機内誌を読んでいると、首都ワシントンにあるオルゴール店の記事が目に入ってきた。ニューヨークの次は、ワシントンの日本大使館を訪問する計画だったので、そのオルゴール店に行こうと決心した。

ところが、ワシントンの店を一人で歩きながら探していると、黒人に至る所で話しかけられて怖い事といったらなかった。それでも根性を振り絞りオルゴール店を探し当てるとドアは二重三重の鍵で閉まっている。呼び鈴を押してやっと中に入れてもらい、必死の想いで手に入れたのがこの小さなオルゴールという訳である。

 こうした経緯がある品物だから、たとえ壊れて動かなくても曲が流れなくても私にとっては大切な宝物なのである。身近な物をスケッチするという行為は過ぎ去った過去の記憶を取り戻す行為と相似している。

2016年08月24日 俵万智さんに会う

 その道は門外漢ゆえに、私に取っては無名な存在であった俵万智さん。1987年に発表した歌集「サラダ記念日」でセンセーショナルなデビューを果たしたことは今でも記憶に新しい。少し調べてみると、処女作は270万部売れたというのだから、出版不況と言われる現在ではとんでもない販売数と言えるだろう。そもそも歌集なのだから地味なはず。歌集の内容の衝撃度が伺えるし社会現象になったことが分かる。  その本人が、我々がほそぼそと続けている句会に飛び入り参加してくれたので感激した。さっそく前日から準備である。本棚を探すと、幸いにも俵万智さんの歌集が二冊見つかった。「サラダ記念日」と「とれたての短歌です。」の二冊。作戦はこの二冊を持参して本人からサインをもらうことである。

 失礼ながら俵万智さんは1962年生まれだから私より一回り若い寅年生まれ。今となっては若手歌人の雰囲気はなくなっているのではないかと懸念したが、あにはからんや、未だ童顔で若々しいのに驚いた。そして、句会の恒例に従って、自らの句を披露してくれたし、選句に加わってくれたのである。  興味津々の私は、句会終了後に質問した。「歌人では誰が好きですか?」という問いには、「和泉式部、恩師の佐々木幸綱、寺山修司」との答え。なるほど恋の歌が得意な俵万智さんらしいと感心した。

  ところで、「サラダ記念日」の中で私が好きな歌と言えば、どうやら会話型に偏っている。

「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
「また電話しろよ」「待ってろ」いつもいつも命令形で愛を言う君

蛇足ながら、俵万智さんには小学生の息子さんがいて、息子さんとの会話がツィッターで紹介されている。その一つ。

俵万智
今朝の息子との会話。「おかあさん、寒いね」「うん、寒いね」「・・・こたえる人がいても、やっぱり寒いね」「う、うん!?」

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