芭蕉林通信(ブログ)

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2017年01月23日 地震復興の実感

 新年を迎え4月には熊本地震が発生してまる一年となる。今となっては、地震があった事自体が夢幻のような気がしないでもない。我が家の玄関前には、4月16日の本震で無惨にも砕け散った大きな壷をそのまま置いているが、それは地震があったことを忘れないためである。

 被害にあった家庭、企業、地域、それぞれにおいて復興の槌音が聞こえてきたのは嬉しいことだ。地域全体で復興するには、莫大な費用と長い年月が必要とされるが、それは東日本大震災の被災地も同様だ。早く熊本城の勇姿を見たい、阿蘇の大自然に癒されたいと思うのだが、しばらくは我慢が必要だ。

 そうした日常の中で、ふと地震復興の成果を感じることがあった。それは道路改修により、車がまったく揺れずに運転できることだ。地震が発生して以来、道路上のマンホールが突き出たり段差ができたりして、車の運転には大変苦労してきた。しかし改修された道路を通ると、あまりの気持良さに驚きかつ感激したのである。昔の感覚を思い出したのである。

2017年01月16日 逆説的ことわざ

 最近ことわざが気に入っている。小学校の頃に授業で習った時にはその意味を知る程度であったが、今では実生活に適用していると感じることが多い。物事を説明するのに便利なのは、一種の隠喩(メタファー)だからかも知れない。

 ところがふとことわざを逆転してみて驚いた。また別の意味が広がるのである。例えば、 急がば回るな (変化が激しい時代はすぐに実行すべき) 二兎を追う者は二兎をも得る (同時並行処理が問題解決のポイント) 全ての道がローマに通じるとは限らない (選択を誤るな) 溺れる者は藁をも掴めない (追い込まれたならば失うものが多い)

 ローマの神であるヤーヌスは前後二つの顔を持つが、ことわざにも二面性があるのだろうか。今、ことわざ辞典をひっくり返しているが、いずれ私家版逆説的ことわざ辞典を作ろうと目論んでいる。

2017年01月11日 梅一輪

 出勤前の庭の梅の古木に一輪の花が咲いているのを見つけた。まだ松の内が開けるか開けないかの時期の開花である。すぐに思い浮かべたのが、松尾芭蕉高弟の一人服部嵐雪の句「梅一輪一輪ほどのあたたかさ」である。このところ真冬にしては暖かい日が続いていると感じていたのは人間だけではなかったのだ。美しい季語の一つに「春隣」がある。梅一輪で春が隣にあることを感じる幸せな朝であった。

 この話には伏線がある。昨日ある先輩とハワイが住み易いかどうか話をしたばかりだったのである。要するにハワイは遊ぶには楽しい所だが、四季のないハワイは住みにくいということを話した。新婚旅行を含めて何度か行ったハワイは、旅行者をのんびりさせる自然と天候に恵まれている代わりに、緊張感が麻痺する何かがある。つまり常夏の島は、四季に慣れ、四季を愛する日本人には住むにはちょっとねえと思わせるものがあるである。四季がないという事実があるのである。(何だか複雑な物言いになったぞ)

 そうした翌朝に見た一輪の梅。よくぞ日本に生まれけりである。これから梅、桜が日本列島を彩ってくれるだろうと思うと、予測不能の世界情勢にあって、つかの間の幸せをもらった気がした。

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