芭蕉林通信(ブログ)

HOME > 芭蕉林通信(ブログ)

1件〜3件 (全 477件)   1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10  ・・・   >次の3件

2019年08月20日 家捜し(やさがし)

 今「家捜し」と言っても、若い人はどれだけ知っているだろうか。その意味は住む家を捜すというのではなく、家の中をくまなく捜すということである。今回図らずも家捜しを経験することとなった。それは両親が住んでいた家を処分することになり、必要な品物、思い出の品物を捜す必要があったからである。

 10年間空き家であった家は熊本地震で大きな被害を受けずに来たが、住人がいない家はいつの間にか物が溢れた家となっていた。親族が家の中を片付けてくれたのはありがたかった。私も家を覗きに行ったが、家の中に独り佇ずみながらここが積年の思い出の詰まった空間であるということを実感した。

 一度は断念しようと思った家捜しだったが、個人的に必要と思う物を見つけ出す作業は根気がいった。それでも、父の日記や祖父の覚え帖など貴重な資料を救い出すことができた。さらに父の書斎で数冊の未見の本を手に入れることもできた。いずれ近い内に取り壊される両親の家ではあるが、仮にその姿を消したとしても、心の中には父、母そして祖母との楽しい記憶が永遠に残ると思った時、妙に安心した。

2019年08月09日 三羽のデコイ

 我が家には三羽のデコイがいる。デコイとは、鳥を獲る際に鳥をおびき寄せるために作った木製の囮の鳥である。デコイを室内インテリアとして購入する人も趣味として作る人もいる。我が家の二羽のデコイはアメリカ土産として20年前に到来、残りの一羽は目白の古道具屋さんから5年前に到来した。

 たまたま「バードカービング」の本が一冊あり、この本を処分したものかどうか思い悩みながら久しぶりに開いてみた。鳥の生態を観察して作られた木彫作品はいずれも細かく彩色され見事と言うしかない。いくつかのデコイ作品は実物のごとく彫られ彩色されている。その時ふと、我が家のデコイには実用性があり水に浮くのではないかと考えた。さっそく一羽のデコイを池に浮かべると、バランスを崩すことなくいかにも旅の疲れをとっている風情で浮かんでいる。まるで「旅のをはりの鴎(かもめ)どり 浮きつつ遠くなりにけるかも」と詠った三好達治の世界である。

 室内インテリアとばかり思っていたデコイが突然実戦に参加したような感じがした。同時に他人に見せたならば、本物と間違えてくれないかと期待が膨らんだ。過日長男が池の掃除をしている時に、焼き物のサンショウウオをこわごわと網で掬おうとしていたことがあったからである。しかし、再度の笑話が生まれなかったのはつくづく残念だった。

2019年08月02日 再び健康について

 最近、同年輩の身近な人の死に遭遇した。70歳の料亭経営者は劇症肝炎で、68歳の経営者は心不全で帰らぬ人となった。それにしても、二人とも仕事はうまくいき、さすがだなと感心している相手であった。二人に何があったのか想像するしかないが、身体に金属疲労のようなことが起こっていたのか、目に見えないストレスがあったのか。

 亡父の書斎から水上勉の「醍醐の桜」という本を見つけ出し、歴史書と思い込み読んでみた。ところが、本は水上勉が心筋梗塞を起こし救急車を呼んだものの、渋滞と病院のたらい回しの結果治療が遅れ、心臓の三分の二が壊死したという内容であった。その際のいきさつとその後のリハビリ中の思いが淡々と又生々しく綴られており俄然興味を抱いた。それにしても3分の一のみ活動する心臓での生活の困難さは、読んでいる私も息が詰まるようだった。いや心臓が止まる思いとでも言うのか。

 健康の話をするのは歳をとった証拠と言われればその通りだが、逆に健康のありがたさを感じるのは年寄りの特権であろう。小学生の孫に仮に人生で何が大事かを伝えるならば、健康が一番だと話したい。「醍醐の桜」を読了して感じたことは、大病の後にリハビリで苦労するぐらいならば、大病しないよう身体を鍛えた方が合理的ではないかということである。

1件〜3件 (全 477件)   1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10  ・・・   >次の3件