芭蕉林通信(ブログ)

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2025年06月24日 熊本國際民藝館のこと

 果たして地元熊本でどれくらいの人が「熊本國際民藝館」の存在を知っているだろうか。推測で言えば、10人に一人ぐらいいれば良しという程度であろう。種を明かせば、同館はJR豊肥本線竜田駅の近くにあり、今年開館60周年を迎える九州唯一の民藝の殿堂と言える存在なのである。

 民藝とは、思想家の柳宗悦(やなぎむねよし)が日頃家庭で使う道具や工芸品に特有の美を見出したことに始まる。民衆的工藝を略して「民藝」と称した運動は、その後富本健吉、濱田庄司、河井寛次郎、棟方志功、芹沢啓介、バーナード・リーチなどの賛同者を集め全国に広がって行く。私は約40年前に民藝運動を知って以来、東京の日本民藝館、倉敷民藝館、出雲民藝館などに足を運び研鑽を積んできた。

 そしてその過程で熊本に民藝館があるのは奇跡であり、熊本の宝であると感じるようになった。そんな時に熊本地震が熊本國際民藝館を襲い、土蔵のような瀟洒な建物と見事な収蔵品に大きな被害をもたらした。当時心痛のあまり復興の手助けを願い出たが、今では同館は見事に復興し栄えある60周年を迎えたという訳である。とはいうものの、いまだ知名度が低いために同館の運営は厳しいらしく、その価値を未来に繋げていけるかひそかに心配している。

2025年06月17日 ほたる3題

 第一話・蛍を季語とした句で好きなのは池田澄子さんの「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」。じゃんけんで勝ったのではなく負けたというのが蛍の美しくもはかなさをよく表していると思う。蛍は水中・地中で約10か月間を過ごし、野外で光り飛び回るのはわずか1週間のみだから。

 第ニ話・旅の宿で一匹の蛍を見つけた。夜になると光りを放ちながら部屋を飛び回った。朝にはぐったりしていたので庭に放したが、果たして地上に出て1週間の内に恋の相手を見つけ無事に子孫を残したか気になった。

 第三話・新聞広告で石の展示会を見つけたのでグランメッセという大型のイベント施設に赴いたが、出展者の多い事とまさしく老若男女が密集するごとく集まっているのに感激した。石好きが高じて、ギザのピラミッドやシルクロードで、はたまた中国の泰山などで特徴ある石を拾ってきた身には、石展は現代の桃源郷に来た思いだった。そこで「フローライト」という石を購入したが、それは南アフリカのナミビア産で日本名では「蛍石」ということを知り、毎日飽かずに鑑賞する日が続いている。

2025年06月09日 ボーイスカウト追想

 スポーツ整体に通い始めて半年が過ぎた頃の先日、整体師が私のボーイスカウト時代の後輩Oさんが通って来ていると教えてくれた。噂をすれば影とやらとはよく言ったもので、出口でOさんとばったり出会った。約60年ぶりに会ったOさんはしきりに懐かしがってくれるが、4歳下のOさんを私はまるっきり覚えていない。しかも彼は、当時の私は雲の上の存在だったと言うのだ。

 古希を迎えた人から雲の上の存在と言われるのだったら、もはや空を自由に行き来する仙人になるしかないと思った。もっとも悟りを開いた久米仙人のように、地上の女性の太ももを見て空から落ちたという羽目には会いたくないが。熊本YMCAに属するボーイスカウト第9団には小学4年の時に入団し中学2年まで在籍した。最後は隊長をしていた。「整列!きをつけ!やすめ!」と号令をかけていたし、毎回三本指で敬礼しては三つの誓いを唱和したものだ。

 いずれOさんとは旧交を温めたいと思っていた矢先に、今度は東京の妹が帰郷し保管していたボーイスカウト時代のトーテムポール柄のナイフを持参してくれた。そこで記憶が呼び覚まされたのは御殿場で開催された富士ジャンボリーに参加したこと、各種技能を身に着ける訓練を受けたがとりわけ手旗信号やモールス信号を覚えさせられたことなどである。今さらながら両親から自然に接する機会を与えられたことに感謝しなければならない。

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